日本歴史地名大系 「千綿浦」の解説 千綿浦ちわたうら 長崎県:東彼杵郡東彼杵町千綿村千綿浦[現在地名]東彼杵町千綿宿郷中世よりみえる彼杵(そのき)庄内の浦。正和三年(一三一四)一二月一二日の鎮西裁許状(尊経閣文庫所蔵文書)に「千綿浦」とみえ、彼杵庄の雑掌が、同庄一分小地頭の千綿九郎入道純西が領家一代一度の惣検注を行わず、また年貢済物を納入しないとしてこれらの実行を訴えたところ、千綿氏が召文に応じないため鎮西探題がその遂行を命じている。千綿氏は一分領主として庄内の一部を知行していたことが知られるが、当地を名字の地とする者であろう。弘安六年(一二八三)一二月一日の関東裁許状写(福田文書)にも引かれる嘉禎三年(一二三七)一二月二九日の関東御教書によれば、大村七郎太郎・時津四郎らとともに「千綿太郎」が京都大番役の勤仕を命じられている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by