千酌郷・千酌庄(読み)ちくみごう・ちくみのしよう

日本歴史地名大系 「千酌郷・千酌庄」の解説

千酌郷・千酌庄
ちくみごう・ちくみのしよう

現美保関町の千酌・かさ浦地域にあった国衙領。のち天皇家領(禁裏御領)庄園となり、千酌庄とも称した。文永八年(一二七一)一一月日の杵築大社三月会相撲舞頭役結番帳の第一七番に「千酌郷三十九丁八反小土屋六郎左衛門入道」とみえる。地頭土屋氏は相模国の御家人で、古代の島根郡千酌郷の開発などを通じて中世千酌郷の領主となった在地の有力者が、承久の乱などで没落した後、新しく地頭として任命されたのであろう。しかし、その後千酌郷および土屋氏がどうなったのかは明らかでなく、千酌が再び史料に登場してくるのは戦国期に天皇家の所領としてである。文正二年(一四六七)二月二一日の沙弥某施行状案(御府記録)に尼子清貞に宛てて「出雲国千酌郷事、早任今月十七日御教書之旨、可被沙汰付二位御局雑掌」とあり、「実隆公記」永正六年(一五〇九)五月一一日条には、「伯二位来、雲州千酌庄張面算勘事被相談之間、仰重種朝臣如形沙汰遣了」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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