御湯殿上日記(読み)オユドノノウエノニッキ

デジタル大辞泉 「御湯殿上日記」の意味・読み・例文・類語

おゆどののうえのにっき〔おゆどののうへのニツキ〕【御湯殿上日記】

清涼殿御湯殿の上の間に奉仕する代々の女官がつけた仮名書き日記。文明9年(1477)から貞享4年(1687)のものが伝存宮中儀式女房詞などを知るうえで貴重な史料

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精選版 日本国語大辞典 「御湯殿上日記」の意味・読み・例文・類語

おゆどののうえのにっき‥のうへのニッキ【御湯殿上日記】

  1. 室町時代禁中御湯殿に奉仕する女官が交代でつけた日記。なかには天皇の書いた部分もある。現存するのは文明九年(一四七七)から文政九年(一八二六)に至る約三五〇年間のもの。かな文で書き、女房詞などが多く見える。御湯殿上記。御湯殿記。御浴殿記。

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改訂新版 世界大百科事典 「御湯殿上日記」の意味・わかりやすい解説

御湯殿上日記 (おゆどののうえのにっき)

宮廷で天皇の近侍の女官が当番で記した職掌日記。なかには天皇執筆の部分もある。女官の詰所が常御殿の御湯殿の上であったので,この名がある。内容は天皇をとりまく動静,儀式,任官叙位,下賜進献など,内側から見た宮廷生活の記録であり,宮廷文化や,もじ言葉・女房詞など宮廷語の研究の史料としても重要。正本写本をあわせて1477年(文明9)から1826年(文政9)までが伝存している。
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百科事典マイペディア 「御湯殿上日記」の意味・わかりやすい解説

御湯殿上日記【おゆどののうえのにっき】

宮廷で天皇に近侍する女官により記された職掌日記。名称内裏(だいり)清涼殿の御湯殿の上に女官の詰所があったことに由来する。当番の女官により書き継がれたが,一部天皇執筆の部分もある。内容は天皇側からみた儀式・任官や周辺の人の動向など宮廷生活の記録で,正本・写本をあわせ1477年から1826年までの分が現存する。宮廷文化・宮廷語の重要な研究史料である。
→関連項目御湯殿上

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「御湯殿上日記」の意味・わかりやすい解説

御湯殿上日記
おゆどののうえのにっき

内裏(だいり)の御湯殿上の間に祗候(しこう)した女官が記した日記。男官の殿上日記に倣い、当番の女官が仮名で記した。15世紀初頭より江戸時代末まで書き継がれたが、1477年(文明9)から1687年(貞享4)までの分が刊行されている。天皇の動静、恒例臨時の儀式、叙位任官の記事をはじめ、将軍や諸大名との交渉や贈答、皇室経済、市井の雑事に至るまで記す範囲は広く、政治、経済、文化の史料として貴重である。ことに女房詞(にょうぼうことば)の資料としてはこれに勝るものはない。『続群書類従』補遺3所収。

[桑山浩然]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「御湯殿上日記」の意味・わかりやすい解説

御湯殿上日記
おゆどののうえのにっき

御湯殿上に奉仕する女官が書き継いだかな文の日記。室町時代中期の文明9 (1477) 年から江戸時代末期にいたる大部が,伝本として現存する。主として天皇の日常生活や御所内の出来事を記し,当時の宮中の儀式,年中行事,皇室経済,公家の動静などを知るのに貴重な資料である。なかには宸筆の個所もあり,また女房詞 (ことば) でない記録体の部分もある。古くはほとんど公にされていなかったが,『続群書類従』補遺として室町時代以降約 200年分を 10冊として刊行。

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旺文社日本史事典 三訂版 「御湯殿上日記」の解説

御湯殿上日記
おゆどののうえのにっき

清涼殿内の御湯殿上(飲用・浴用の湯をわかすところ)に奉仕した女官が書き継いだ仮名文字の日記
室町中期から江戸末期までのものが現存。天皇の日常生活や宮中の儀式・年中行事・文化生活などを知るのに重要な史料。

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