占守島の戦い

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占守島の戦い

日ソ中立条約を破棄し1945年8月に対日参戦したソ連軍は同18日未明、千島列島北東端の占守島上陸ポツダム宣言を受諾し、武装解除中だった日本軍守備隊と戦闘になった。23日の停戦協定成立までに日本軍は「約600人が死傷」(防衛省)。死者は約350人ともいわれ、残存兵はシベリアなどに抑留された。ソ連軍は公式統計で死亡416人、行方不明123人、負傷1028人。「死者3千人」説もあるが正確には不明。ソ連軍はこの戦闘後、千島列島を南下し、択捉、国後両島など北方領土をほぼ無血で占領した。(モスクワ共同)

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