占守島(読み)シュムシュとう

精選版 日本国語大辞典 「占守島」の意味・読み・例文・類語

シュムシュ‐とう‥タウ【占守島】

  1. ( 「シュムシュ」はŠumšu ) 千島列島最北端の島。明治二六年(一八九三郡司成忠報効義会を組織して移住し、漁業に従事したことで知られる。北海道根室支庁に属したが、第二次世界大戦後ソ連をへてロシアが管轄している。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「占守島」の意味・わかりやすい解説

占守島
しむしゅとう

千島列島の最北端にある火山島。ロシア名シュムシュ島Остров Шумшу。語源は千島アイヌ語の「主要な島」の意とされる。北は占守海峡(第一クリル海峡、最狭部12キロメートル)を隔ててカムチャツカ半島ロパトカ岬に対し、南西は幌筵(ほろもしり)海峡(第二クリル海峡、最狭部2キロメートル)を挟んで幌筵(パラムシル)島に連なる。北東―南西方向に長く、長さ約30キロメートル、幅約18キロメートル、面積230平方キロメートル。島の大半は緩い傾斜の溶岩台地か楯状(たてじょう)火山で、わずかに北西部に別飛(べっとぶ)沼を抱える湿原が広がる。中央部に鉢伏(はちぶせ)山(155メートル)、南部に三塚山(190メートル)が平らな山頂をみせる。樹木はほとんどなく、草原が卓越する。南西の幌筵海峡に面して片岡湾があって錨地(びょうち)をなし、湾岸に中心地片岡(バイコボБайково)がある。1893年(明治26)海軍軍人郡司成忠(ぐんじなりただ)(1860―1924)が「報効義会」を組織し、翌年占守島に渡り、1896年移住した。1892年侍従片岡利和(としかず)(1836―1908)が当地視察地名の片岡はこれにちなむ。第二次世界大戦前は根室支庁(現根室振興局)管内占守郡を構成したが、戦後はソ連、ソ連解体後はロシア連邦が支配し、サハリン州に所属させている。

渡辺一夫

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百科事典マイペディア 「占守島」の意味・わかりやすい解説

占守島【しむしゅとう】

シュムシュ[島]

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世界大百科事典(旧版)内の占守島の言及

【シュムシュ[島]】より

…ロシア連邦東端,千島列島最北東端の火山島。日本名,占守(しむしゆ)島。北はシュムシュ海峡(最狭部12km)を経てカムチャツカ半島ロパトカ岬に,西はパラムシル(幌筵)海峡(最狭部2km)を経てパラムシル島に対する。…

※「占守島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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