ポツダム宣言(読み)ぽつだむせんげん(英語表記)Potsdam Declaration

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ポツダム宣言」の意味・わかりやすい解説

ポツダム宣言
ぽつだむせんげん
Potsdam Declaration

1945年(昭和20)7月に開かれたポツダム会談で協議されたうえ、同年7月26日、米英中三国政府首脳連名日本に対して発せられた降伏勧告の宣言。この宣言は全部で13項からなり、日本がこのまま戦争を継続すれば日本の国土は完全に荒廃してしまうこと(3項)、いまや日本は壊滅への道を続けるかそれとも理性の道を歩むかを決定すべきであること(4項)を述べ、連合国が要求する戦争終結の条件として次のものを掲げている。(1)軍国主義の除去、(2)日本国領土の占領、(3)カイロ宣言条項履行、および本州、北海道、九州、四国および連合国が決定する諸小島への日本の主権の制限、(4)日本国軍隊の完全な武装解除、(5)戦争犯罪人に対する厳重な処罰、ならびに民主主義の確立、(6)賠償の実施と平和産業の確保。またこの宣言は、以上の諸目的が達成され、日本国民の自由に表明された意思に従って平和的な傾向をもった責任ある政府が樹立された場合には、ただちに占領軍撤収することを明らかにしている(12項)。

 ポツダム宣言が発せられるや、日本政府および軍の首脳の間では、それを受諾すべきか否かにつき深刻な討論が闘わされた。日本政府はいったんは拒否を通告したものの、広島長崎への原爆投下8月6日8月9日)、ソ連の対日参戦(8月8日)とますます絶望的な状況へ追いやられたため、ついに受諾するに至った。8月14日、日本政府は宣言の受諾を決定し、同日夜、終戦の詔勅が発せられた。

[深谷満雄]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ポツダム宣言」の意味・わかりやすい解説

ポツダム宣言
ポツダムせんげん
Potsdam Declaration

1945年7月 26日にベルリン郊外のポツダムで発表された日本の戦争終結条件を示したアメリカ,イギリス,中国3ヵ国首脳の宣言。これはポツダム会談の結果,アメリカ,イギリス両国の合意ができ,それに同会談に参加しなかった中国も同意して発表されたもので,同会談参加のソ連はまだ日本と中立関係にあったためにこの宣言には加わらなかった。ただしソ連は同年8月8日の対日宣戦布告の際,ポツダム宣言にも加わった。宣言は 13項から成り,そのおもな要求項目は,軍国主義者の権力と勢力の永久除去 (6項) ,日本の新秩序建設までの連合国による日本の諸地点の占領 (7項) ,カイロ宣言の履行,日本主権の本州,北海道,九州,四国,および連合国決定の諸小島への局限 (8項) ,日本軍隊の完全な武装解除 (9項) ,戦争犯罪人の厳罰,民主主義復活に対する障害の除去,基本的人権の尊重 (10項) ,日本経済の支持と実物賠償取立てのため産業を維持することの許可,ただし再軍備のための産業は禁止され,将来の世界貿易関係への参加の許容 (11項) ,前記諸目的達成後の占領軍の撤収 (12項) ,即時無条件降伏の要求 (13項) ,であった。しかし日本はすぐには回答せず,7月 28日に鈴木貫太郎首相は「宣言を黙殺する」と発表した。しかし8月6日広島,9日長崎へ原爆が投下され,その間同8日にソ連が対日宣戦を布告するに及び,ついに日本は 10日留保付きで宣言の受諾を申入れ,14日に無条件降伏を通告し,第2次世界大戦は終結した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報