印野村(読み)いんのむら

日本歴史地名大系 「印野村」の解説

印野村
いんのむら

[現在地名]御殿場市印野

永塚ながつか村・保土沢ほとざわ新田の西、富士山東麓の傾斜地に位置し、南は板妻いたづま村、須山すやま(現裾野市)。村内を通る十里木じゆうりぎ街道は、須山村十里木を経由して富士郡大淵おおぶち村・中野なかの(現富士市)に至る街道で、駿河国の産物を関東地方へ輸送する街道であった。集落は本村と枝郷の鴇巣ときのす(鷹巣とも。現在は時ノ栖)荻原おぎわら(小木原)北畑きたばたに分れ、正保四年(一六四七)検地帳では別冊に、元禄郷帳では別筆となっている。荻原には中畑なかばた村分も存在する。本村はかつて北の古印野こいんのとよばれる地にあったが、延宝八年(一六八〇)頃現在地に移転した。移転後本村から遠いこともあり古印野は放置されていたが、そこに鴇巣・荻原の住民が入り込んで再開発をしたため、元禄六年(一六九三)・正徳元年(一七一一)争論になっている(元禄六年「切替畑一札」印野支所文書、正徳二年「取替証文」池田家文書)。なお本村は勝間田氏が遠江国榛原はいばら勝間田かつまた(現榛原町)から移住して開き、北畑は今里いまざと(現裾野市)の市左衛門が開いたという伝承が残る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報