出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
静岡県北東部、富士山南東麓(ろく)の市。1955年(昭和30)御殿場町と富士岡、原里(はらさと)、玉穂、印野(いんの)の4村が合併して市制施行。1956年高根村を編入。市名は、徳川家康が江戸より駿府(すんぷ)(静岡)へ赴く途中の休憩所(御殿)を旧御殿場町に建てたこと、また、家康のなきがらを久能(くのう)山から日光東照宮に移すとき、仮殿を造営したことによるともいう。市域は東の箱根連山、西の富士山の裾野(すその)に展開する高原地帯。市街地は黄瀬(きせ)川、酒匂(さかわ)川(鮎沢(あゆさわ)川)の分水界上に位置する。JR御殿場線、国道138号、246号、469号が通じ、東名高速道路御殿場インターチェンジ、新東名高速道路新御殿場インターチェンジがある。JR御殿場線には小田急電鉄が乗り入れている。『和名抄(わみょうしょう)』の古家(ふるいえ)郷、横走(よこはしり)郷を市内の古沢と六日市場に比定する説もあり、横走駅、横走関は甲斐(かい)(山梨県)、相模(さがみ)(神奈川県)への分岐点として、古代東海道の要衝であった。平安時代には伊勢(いせ)神宮の御厨(みくりや)「大沼鮎沢御厨」が成立。旧町名御厨町はこれに由来する。農業は米作と高原野菜を主とし、特産にミズカケナ(京菜)がある。酪農、養鶏も盛んである。工場進出も目だち、自動車部品、精密機械、印刷、家具などの工場がある。また、近年はゴルフ場、分譲別荘地の造成も目覚ましい。富士箱根伊豆国立公園への交通上の要衝で、観光都市としても発展している。また、富士山登山道の御殿場口があり、東麓は東富士演習場となっている。観光地に平和公園、御胎内清宏(おたいないせいこう)園、駒門(こまかど)風穴などがある。面積194.90平方キロメートル、人口8万6614(2020)。
[川崎文昭]
『『御殿場市史』9巻・別巻2(1974~1983・御殿場市)』
静岡県北東端,富士山東麓の市。1955年御殿場町,富士岡村,原里村,玉穂村,印野(いんの)村が合体,市制。人口8万9030(2010)。御殿場の地名は,徳川家康が造らせた御殿に由来するといわれる。古代の横走駅が置かれた地とされる。古代末から中世にかけて伊勢神宮領大沼鮎沢御厨(みくりや)の内にあり,鎌倉幕府の御家人大森氏一族が強大な勢力を誇っていた。戦国時代には今川氏の勢力圏に入り,大森氏の一族葛山氏が深沢城に拠って支配したが,今川氏滅亡後,後北条氏と武田氏の抗争の舞台となり,1571年(元亀2)深沢城は武田氏の手に落ちた。近世は1633年(寛永10)以後,一時期を除いて小田原藩領で新田の開発が盛んとなり,印野,竈(かまど)新田などが開かれた。1889年東海道本線が御殿場経由で開通,富士登山口などが開けたが,1934年の丹那トンネルの開通によって支線御殿場線となり,町の経済は登山客あるいは軍事基地に依存することになる。69年の東名高速道御殿場インターチェンジ開通後の地域の変容は大きく,農業は水田耕作中心から養鶏,養豚などの大規模畜産などへの移行が目だち,工業では,電気機械,精密機械,レコード製造など内陸型工業の進出が著しい。また富士山東麓などでは,大手観光資本による別荘,ゴルフ場などの開発も進んでいる。かつてアメリカ軍が管理した東富士演習場は,70年以降自衛隊が使用している。駒門風穴(天),印野の溶岩隧道(ずいどう)(天),御胎内高山植物園などがある。
執筆者:塩川 亮
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