反ゴルバチョフ・クーデタ

山川 世界史小辞典 改訂新版 の解説

反ゴルバチョフ・クーデタ(はんゴルバチョフ・クーデタ)

ペレストロイカを終わらせたクーデタ。中心になったのは国家保安委員会,内務省,国防省と軍,大統領府の責任者たちであり,これに副大統領と首相が誘い込まれた。1991年8月18日クーデタ派はクリミアの別荘にゴルバチョフを監禁し,「大統領病気につき副大統領が職務を代行する,併せて国家非常事態委員会を設置する」との発表を19日朝行った。モスクワ市内には戦車が導入された。ロシア共和国の首脳はこれはクーデタだとして,国民に決起を呼びかけた。翌20日,エリツィンらがたてこもるロシア共和国最高会議会館に対する攻撃の命令が国家保安委員会特殊部隊と空挺部隊に出たが,彼らが命令を拒否して,クーデタは失敗に終わった。8月21日ゴルバチョフは救い出された。

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旺文社世界史事典 三訂版 の解説

反ゴルバチョフ−クーデタ
はんゴルバチョフ−クーデタ

ソ連のゴルバチョフ大統領に対する保守派のクーデタ
ペレストロイカを進めるゴルバチョフが国家の再編をめざして新連邦条約の締結を求めると,それに反対する共産党内保守派が1991年8月にクーデタを敢行してゴルバチョフを監禁した。ロシア共和国大統領のエリツィンによってクーデタ派は敗北したが,これ以後ゴルバチョフは実権を失い,ソ連共産党の解散およびソ連解体へと進むこととなり,同年12月25日に辞任した。

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