東欧革命(読み)とうおうかくめい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

東欧革命
とうおうかくめい

東側共産圏の雄としてアメリカと並ぶ超大国を誇ってきたソ連が,経済危機に伴う国力の低下によって東ヨーロッパでの影響力を弱めたことを背景に,1980年代末市民や労働者によって共産主義政権が次々と倒された一連の民主化革命。まず,1980年代に発足した自主管理労組「連帯」を中心とする勢力が 1989年9月に政権を握ったポーランドを皮切りに,12月にはチェコスロバキア,翌 1990年4月にはハンガリー,5月にはルーマニアで非共産政権が誕生した。また,東西冷戦の象徴といわれたベルリンの壁も 1989年 11月に崩壊,1990年 10月には東ドイツが西ドイツに吸収されるかたちで統一した。その一方で,共産党政権の抑圧のもとで長くくすぶり続けてきた民族主義が一挙に高まり,1993年1月チェコスロバキアがチェコとスロバキアに分離。さらに6共和国からなるユーゴスラビア社会主義連邦共和国 (旧ユーゴスラビア) では,民族間の対立から内戦にいたり,1991年スロベニア,クロアチア,マケドニア,1992年ボスニア・ヘルツェゴビナがそれぞれ分離独立,セルビアとモンテネグロが新たにユーゴスラビア連邦共和国 (新ユーゴスラビア) を形成した。

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百科事典マイペディアの解説

東欧革命【とうおうかくめい】

1989年に始まる東欧諸国における一連の民主化革命。その直接の要因は旧ソ連のペレストロイカ政策と東欧政策の変更にある。旧ソ連の東欧政策は1968年のブレジネフ・ドクトリンに示されたように社会主義圏全体の利益のためには主権も制限されうるという〈制限主権論〉に基づいていたが,ゴルバチョフは1987年に東欧諸国への内政不干渉を明言した。この状況のもとで,1989年の夏から秋にかけて東欧諸国(ポーランド,ハンガリー,東ドイツ,ルーマニア,ブルガリア,チェコスロバキア)では,民主派・改革派が政治の実権を握り,次々とソ連型の一党独裁体制を放棄した。さらに,1990年10月の東西ドイツの統一,同年12月のアルバニアの一党支配終結,1991年7月のワルシャワ条約機構の解散と展開する。この間ユーゴスラビアでも同様の動きが進むなかで,1991年以降各共和国が独立し1992年連邦が崩壊するとともに,内戦が起こった。そして1991年12月のソ連崩壊に伴い,1947年のトルーマン・ドクトリン以来44年間続いた東西の冷戦は終結した。複雑な民族構成の多い東欧諸国で,この革命は従来封じられてきた民族間問題を噴出させる契機ともなった。
→関連項目コールジフコフソビエト連邦チトーチャウシェスク中欧ドイツドゥプチェクハベル民族自決ユーロコミュニズムヨーロッパヨーロッパ安全保障協力機構

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大辞林 第三版の解説

とうおうかくめい【東欧革命】

東ヨーロッパで1980年代末から相次いで起こった、ソ連型共産主義から抜け出し民主化・自由化を求める一連の変革。89年11月のベルリンの壁の崩壊、12月のルーマニアの政変、同月のチェコスロバキアの共産党の一党支配の崩壊、90年9月のポーランドの非共産党系内閣の誕生などをいう。

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