日本歴史地名大系 「古寺町」の解説 古寺町ふるでらまち 石川県:金沢市金沢城下第五連区古寺町[現在地名]金沢市片町(かたまち)二丁目城南の西部、犀川大橋北詰近くで五枚(ごまい)町から北東に延びて片町に並行し、二町二六間余で木倉(きぐら)町に至る。両側町で南西は犀川下川除(さいがわしもかわよけ)町。もと河原(かわら)町の一部で、犀川付替えによって成立した。江戸時代初頭総構内に二ヵ所の寺院集住地が置かれ、一つは北陸街道下口の総構内の寺町、もう一つは当町であった。元和元年(一六一五)の郡裁許滝与右衛門などによる町地再編成の際、両寺町ともに総構外に移され、当町諸寺は泉野寺(いずみのてら)町に移った。 古寺町ふるでらまち 富山県:富山市富山城下古寺町[現在地名]富山市常盤町(ときわちよう)・蛯町(えびちよう)・白銀町(しろがねちよう)荒(あら)町から東に延び、東端は仁右衛門(によえもん)町に直交する。中ほどで北に折れると蛯町、南に折れると米屋(こめや)町に至る。東部に北に入る小路があり、殿(との)町と称する家中屋敷地であった。田地方のうち。万治年間富山旧市街図には単に寺町とみえ、これに対し南方の現梅沢(うめざわ)町付近を新寺町と記す。寛文六年(一六六六)の御調理富山絵図にはそれぞれ古寺町・新寺町とし、安政元年(一八五四)の富山城下絵図(県立図書館蔵)などでは、梅沢町のほうを単に寺町、当町を古寺町と記す。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by