日本歴史地名大系 「古波蔵村」の解説 古波蔵村くふあんぐわむら 沖縄県:那覇市旧島尻郡地区古波蔵村[現在地名]那覇市古波蔵(こはぐら)・古波蔵二―四丁目・壺川(つぼがわ)・楚辺(そべ)一―二丁目・楚辺・二中前(にちゆうまえ)・松尾(まつお)一―二丁目・久茂地(くもじ)三丁目・牧志(まきし)一丁目クファングヮと発音する。与儀(ゆーじ)村の西方から南方にかけてを村域とし、南は国場(こくば)川、東は国場(くくば)村。真和志(まーじ)間切所属。絵図郷村帳・琉球国高究帳の真和志間切に村名がみえ、高究帳によると高頭四〇七石余、うち田三二一石余・畠八五石余。村には脇地頭が置かれ、家譜によれば万暦四一年(一六一三)に「古波倉地頭職」、順治五年(一六四八)に「胡波倉地頭職」拝領の記事があり(薛姓比嘉家家譜・毛姓座喜味家家譜)、充当文字に変化がみられる。村は当初泉崎(いずんざち)村・久米村久茂地(くにんだくむじ)の一部を含み、集落は村北西部の泉崎村などに近い小字楚辺原(そべばる)・真地原(まーじばる)一帯に形成されていた。しかし一六四〇―五〇年代に真和志間切から那覇町および久米村町・若狭町(わかさまち)・泉崎町が町方として管轄を離れたため、村の一部(湧田村)が泉崎町の籍内となった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by