日本歴史地名大系 「台濁沢村」の解説
台濁沢村
だいにごりさわむら
[現在地名]大洋村台濁沢
東は鹿島灘に臨み、西は
<資料は省略されています>
と記される。室町時代は台・濁沢の二村に分れ、畠地耕作と釜による塩焼を生業としており、以後も烟田氏の勢力下に置かれ、烟田幹当所領十六箇村覚書(同文書)に「同浜方、堺堀・白塚・大竹・岡堀込・下荒地・台・濁沢」とある。天正一九年(一五九一)佐竹氏の南下に伴い一族の東義久の知行地となり文禄四年(一五九五)の中務大輔当知行目録(秋田県立図書館蔵)に「百拾七石七斗壱升 にこりざわ」とある。
江戸初期に旗本領となり、寛永一〇年(一六三三)の鹿島郡中高改帳によれば、村高は一二七石余で駒井氏が領した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報