日本歴史地名大系 「合馬村」の解説 合馬村おうまむら 大分県:中津市合馬村[現在地名]中津市合馬大貞(おおさだ)台地にある小集落。西は池永(いけなが)村、南は中原(なかばる)村。文明一六年(一四八四)二月二五日の万徳坊領田畠坪付惣帳(到津文書)に、大家(おおえ)郷・野仲(のなか)郷内の今自見(いまじみ)名内の地名として「逢間迫」「逢間生阿屋敷」「逢間孫三郎屋敷」「逢間堀内」「逢間又三郎屋敷」がみえ、本自見(ほんじみ)名内にも「あう間の畠地」一町がみえる。永禄三年(一五六〇)には「アフマノ村」がみえる(同年一一月吉日「下毛郡本自見名坪付」永弘文書)。「豊前志」は「応永十年宇佐宮坊領坪付といふ旧記に、下毛郡大家野仲両郷の内、本自見名坪付一所二段卅、門田、此内有早馬田と云ふ事見えたり、早馬田は伝馬田にて、駅子の田なるべく覚ゆ(中略)下毛駅は合馬村なる事明なり」とし、合馬が古代の下毛駅にちなむ名とするが、「逢間迫」のように地形からきた名と考えるのが妥当と思われる。 合馬村おうまむら 福岡県:北九州市(旧豊前域)小倉南区合馬村[現在地名]小倉南区合馬吉金(よしかね)村の西、紫(むらさき)川支流の合馬川の流域にあたる。元和八年人畜改帳に合馬村とみえ、高六七二石余、家数七九、人数一六五(うち惣庄屋一・百姓一八・名子一二・山ノ口二・人留一)、牛二四・馬一三。正保国絵図では合馬の内として麻生が記される。郷村高帳では高六九三石余、うち新田高八〇石余。幕末の各村覚書では本高六一二石余、田四七町八反余・畠一〇町四反余、物成三三九石余、竈数九六・家数一五〇・人数四四四、牛七五・馬二〇、宝積(ほうしやく)寺など。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by