吉原城跡(読み)よしはらじようあと

日本歴史地名大系 「吉原城跡」の解説

吉原城跡
よしはらじようあと

[現在地名]吉川村吉原 西木戸

現在土居屋敷廻(どいやしきまわり)とよぶ小字の地にあった土居城で、城主は長宗我部氏の部将丁野氏と伝える。当地は鎌倉時代以降吉原庄とよばれたが、南北朝末期から室町時代にかけて長宗我部氏の勢力下に入った。元親の祖父兼序は、本山氏・山田氏など周辺諸氏に岡豊(おこう)城(現南国市)を攻略されたが、いったん槙山(まきやま)郷(現物部村)に逃れたのち吉原城に入り、永正五年(一五〇八)香宗我部氏の急襲を受けてこの城で自刃したという説がある(編年紀事略)。

天正一六年(一五八八)の吉原庄地検帳には、西木戸・弓場などの地名はみえるが城跡をうかがわせる記述はなく、内部は分割されて耕地や屋敷となっている。落城以後再建されなかったのであろう。


吉原城跡
よしはらじようあと

[現在地名]五條市霊安寺町小字振矢の岡

御霊(ごりよう)神社東方の丘陵頂上の東西三〇〇メートル、南北二〇〇メートルの平坦地にある方形の平城。別名振矢(ふるや)の岡(おか)城。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

1 イソオウギガニ科のカニ。浅海にすみ、甲は丸みのある四角形で、甲幅13センチくらい。全体に黄褐色。甲の縁と脚に太いとげが多数ある。本州中部以南に産し、食用。2 ズワイガニの別名。鳥取・島根地方でいう...

松葉蟹の用語解説を読む