日本歴史地名大系 「小倉山城跡」の解説 小倉山城跡おぐらやまじようあと 岐阜県:美濃市上有知村小倉山城跡小倉山(一五九メートル)に築かれた金森氏の城跡。北西側は長良川に臨み、断崖となっている。金森長近は関ヶ原の合戦の論功行賞として、慶長五年(一六〇〇)関・上有知(こうずち)など二万三千石を加増され、飛騨高山を養子可重に譲って隠居のかたちで当地へ移り、小倉山に居館を建設。上有知藩の成立である。しかし、同一六年二代長光の夭折によって同藩は廃藩となり、居館は取壊された。 小倉山城跡おぐらやまじようあと 京都市:左京区岩倉村小倉山城跡近世の岩倉村と長谷(ながたに)村にまたがる小倉山に設けられた中世の城跡。岩倉を拠点とした土豪山本氏の居館である。山本氏は寛延三年(一七五〇)になった山本家系図(山本寿家文書)によれば、近江佐々木氏の被官で、各地を転戦しているが、文明年間(一四六九―八七)に岩倉に定着、かなりの勢力をもつにいたったものと思われる。天文一五年(一五四六)一〇月には山本尚則が細川晴元と岩倉で交戦(後奈良院宸記)、また「言継卿記」天文二〇年三月二日条に、「三好人数、岩蔵山本館へ取懸悉放火、不出合云々、岩蔵、長谷乱妨云々、筑前守は不立、人数計二万余有之、応打帰了」とみえ、三好長慶軍と交戦。 小倉山城跡おぐらやまじようあと 広島県:山県郡大朝町新庄村小倉山城跡[現在地名]大朝町新庄 小倉山「芸藩通志」などには、単に「小倉山」、あるいは「紅葉山」とみえ、「小蔵山」と記されることもある。大朝盆地はもちろん、石見浜田路の中山峠(なかやまたお)、石見に通ずる市木三坂(いちぎみさか)、中三坂(なかみさか)、時雨三坂(しぐれみさか)の要所も展望できた。南北朝末期、吉川経見が大朝の駿河丸(するがまる)城から本拠をここに移したという説が有力で、以後、天文一九年(一五五〇)元春が日野山(ひのやま)城に移るまで吉川氏の本拠であった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by