20世紀日本人名事典 「吉河光貞」の解説
吉河 光貞
ヨシカワ ミツサダ
昭和期の弁護士 元・広島高検検事長。
- 生年
- 明治40(1907)年1月16日
- 没年
- 昭和63(1988)年4月17日
- 出生地
- 東京
- 学歴〔年〕
- 東京帝大法学部〔昭和5年〕卒
- 経歴
- 昭和7年司法官試補。16年にゾルゲ事件の主任検事を務めた。24年2月のウィロビー報告に端を発したA.スメドレーのスパイ容疑事件で26年アメリカの下院非活動委員会などに証人として呼ばれ、ゾルゲ取り調べの証言を行った。戦後、追放は免れ、23年法務庁事務官を経て法務庁特別審査局長となり、24年には在日朝鮮人連盟の解散、25年の日本共産党中央委員追放などの弾圧措置を行う。また26年には定員1200人を3000人に増やし、全国に情報網を張り「特高の再現」と批判された。27年破壊活動防止法の成立を強行推進、同年東京高検検事に返り咲き、最高検検事として砂川事件などを担当。39年公安調査庁長官、43年9月広島高検検事長を歴任して、44年引退、弁護士となった。一高時代から左翼運動に走ったが、昭和初期の3.15事件、4.16事件の共産党弾圧の中で180度転向、逆に左翼弾圧の旗手となったことで知られる。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報