ゾルゲ事件(読み)ゾルゲジケン

デジタル大辞泉 「ゾルゲ事件」の意味・読み・例文・類語

ゾルゲ‐じけん【ゾルゲ事件】

昭和16年(1941)駐日ドイツ大使館顧問ゾルゲ(Richard Sorge)と尾崎秀実おざきほつみらが日本の政治・軍事に関する機密をソ連に通報した疑いで逮捕された事件。両名は昭和19年(1944)処刑。
尾崎秀樹による実名小説。昭和38年(1963)刊。副題尾崎秀実の理想と挫折」。著者の兄である秀実が検挙・処刑されたを題材としたもの。

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共同通信ニュース用語解説 「ゾルゲ事件」の解説

ゾルゲ事件

ソ連赤軍の秘密諜報ちょうほう部員だったドイツ人リヒャルト・ゾルゲらによる国際スパイ事件。ゾルゲは新聞特派員を装い、近衛内閣ブレーンだった尾崎秀実おざき・ほつみらと共に、南進政策決定など日本政府中枢の情報を入手し、ソ連に伝えていた。1941年10月18日に逮捕され、治安維持法違反などで死刑判決を受け、44年11月7日に処刑された。

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精選版 日本国語大辞典 「ゾルゲ事件」の意味・読み・例文・類語

ゾルゲ‐じけん【ゾルゲ事件】

  1. 昭和一六年(一九四一)、新聞特派員で駐日ドイツ大使の私設情報顧問ゾルゲ(Richard Sorge)、もと満鉄嘱託尾崎秀実(ほつみ)らが日本の政治上・軍事上の機密をソ連に通報していた容疑で検挙された事件。ゾルゲ、尾崎は同一九年処刑。五人獄死。なお、犬養健西園寺公一(きんかず)近衛文麿側近も同事件に関係の疑いで検挙され、政界に脅威を与えた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ゾルゲ事件」の意味・わかりやすい解説

ゾルゲ事件
ぞるげじけん

第二次世界大戦下の日本における諜報(ちょうほう)活動に関与した機関関係者が大量検挙された事件。中心人物のリヒャルト・ゾルゲ(ドイツ共産党出身、ソ連邦赤軍第四本部所属)は1930年(昭和5)から1932年にかけ中国の上海(シャンハイ)に派遣され、アメリカ人記者ジョンソンの名前で、朝日新聞社特派員尾崎秀実(ほつみ)らの協力を得て情報活動に従事していたが、いったんモスクワに帰還したあと、1933年9月ドイツのフランクフルター・ツァイトゥンク紙などの記者として来日した。その目的は、満州事変以降の日本の対ソ政策、対ソ攻撃計画を探知し、日本のソ連への侵入を阻止することにあった。ゾルゲは尾崎と再会し、画家宮城与徳(みやぎよとく)、通信員ブランコ・ド・ブーケリッチユーゴスラビア)、写真技術者マックス・クラウゼン(ドイツ)らと情報組織を確立し活動を開始した。

 ゾルゲらの活動は、1936年の二・二六事件以降本格化するが、その優れた能力と高い地位によってきわめて正確な情報が集められ、ソ連に提供されたという。ゾルゲは、ドイツ大使館の信頼を得、大使オットの私設情報官に就任し、尾崎は朝日新聞社を退社後、昭和研究会のメンバー、近衛文麿(このえふみまろ)内閣嘱託、満鉄調査部嘱託となり、この両者の活動によってきわめて広範な情報を入手することに成功した。

 1941年10月10日、国際スパイの嫌疑で宮城が逮捕され、ついで尾崎、ゾルゲら、いわゆるゾルゲグループが次々に検挙され、国防保安法、軍機保護法、治安維持法、軍用資源秘密保護法違反で起訴される。1943年9月ゾルゲ、尾崎に死刑判決、1944年11月7日に処刑された。宮城とブーケリッチは獄死した。日本人関係者には、水野成(しげる)、河村好雄、船越寿雄(ともに獄死)、川合貞吉(かわいていきち)、久津見房子(くつみふさこ)、北林トモらがいた。

[山田敬男]

『尾崎秀樹著『ゾルゲ事件』(中公新書)』『小尾俊人解説『現代史資料 ゾルゲ事件』全4冊(1962~71・みすず書房)』

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改訂新版 世界大百科事典 「ゾルゲ事件」の意味・わかりやすい解説

ゾルゲ事件 (ゾルゲじけん)

R.ゾルゲ尾崎秀実(ほつみ)を中心とする対日諜報機関関係者の検挙事件。ソ連赤軍第4本部に所属し諜報活動に従事していたゾルゲは,偽装のためナチス党へ入党,ドイツの新聞社の日本特派員として1933年9月に来日し,ドイツ大使館から絶大な信頼をかちえていた。尾崎は朝日新聞社特派員として上海に滞在中の1930年にゾルゲと知り合い,34年5月に再会して諜報グループを結成した。その後尾崎は,中国問題の高名な評論家としての地位を築く一方,昭和研究会に入会,37年第1次近衛文麿内閣のもとで内閣嘱託を務めるなど近衛のブレーンとして活躍し,近衛内閣総辞職後は南満州鉄道嘱託となり,諜報活動に従事した。諜報機関員はゾルゲ以下外国人3名と日本人13名で,その情報網は政界上層,ジャーナリズムから右翼や無産団体の一部にまで及んでいた。ゾルゲらの目的は日ソ間の平和維持にあり,彼らの活動は戦時下における反戦平和活動の特殊な一形態であった。ゾルゲらは国家の極秘文書などを盗みだしたのではなく,見聞入手した情報に綿密な分析を加え,的確な判断と見通しを無線でソ連へ通報していた。彼らの情報はきわめて確度が高く,とくに41年6月の独ソ開戦の予知や9月の太平洋戦争開戦に関する御前会議決定の通報などに顕著な成果をあげた。事件は,伊藤律が北林トモを密告したことから発覚し(《特高月報》1942年8月分),9月28日に北林,10月15日に尾崎,18日にゾルゲらが逮捕され,42年6月8日までに諜報機関員と犬養健,西園寺公一(きんかず)らの情報提供者合計35名が逮捕された。そのうちの18名が治安維持法,国防保安法,軍機保護法などの違反容疑で起訴され,ゾルゲと尾崎が死刑,2名が無期懲役のほか全員有罪の判決をうけたが,西園寺は執行猶予,犬養は上告審で無罪となった。ゾルゲと尾崎は44年11月7日に処刑され,5名が獄死したが,9名は45年10月に釈放された。
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百科事典マイペディア 「ゾルゲ事件」の意味・わかりやすい解説

ゾルゲ事件【ゾルゲじけん】

1941年太平洋戦争開始直前に発覚した国際スパイ事件。ドイツの新聞社特派員として駐日ドイツ大使の信任を得ていたR.ゾルゲ(ソ連共産党第4本部所属)が,コミンテルンの命を受けて,日中戦争下の日本の政治,経済,外交,軍事の最高機密を探り,これに協力した満鉄嘱託の尾崎秀実(ほつみ)ら35人が検挙され,1944年ゾルゲと尾崎は死刑。
→関連項目伊藤律尾崎秀樹ギラン国防保安法西園寺公一スパイスメドレー

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「ゾルゲ事件」の解説

ゾルゲ事件
ゾルゲじけん

ソ連防衛を最大の任務とする諜報活動を8年間展開したゾルゲらが,太平洋戦争直前に検挙された事件。1933年(昭和8)9月に来日したゾルゲ(当時はソ連赤軍の諜報機関に所属)は,ラムゼイ機関とよばれる諜報網を組織した。主要メンバーは近衛文麿側近の尾崎秀実(ほつみ),画家宮城与徳(よとく),特派員ブーケリッチ,無線技師クラウゼンら。同機関は日本の政界や軍部,ドイツ大使館などに深く浸透して機密情報を収集し,分析を加えてソ連に通報した。重要情報に日独防共協定の全容,独ソ戦開始の予告,御前会議決定の推移などがある。伊藤律の供述を糸口に,41年10月前後に関係者35人が逮捕され,44年11月7日ゾルゲ・尾崎は国防保安法・治安維持法違反などにより死刑に処せられた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ゾルゲ事件」の意味・わかりやすい解説

ゾルゲ事件
ゾルゲじけん

日本を舞台とした大規模な国際スパイ事件。 1941年 10月 15日,国際スパイ容疑で元満鉄嘱託尾崎秀実がさらに同 18日ドイツ人 R.ゾルゲらが警視庁に逮捕された。しかし新聞記事の解禁は 42年5月であった。ゾルゲはコミンテルン本部の指令で 33年9月に来日,上海で旧知の尾崎らと接することで軍,政府上層部から二・二六事件,三国同盟,関東軍特別大演習など対ソ情報を入手通諜していた。 44年3月 15日東京地方裁判所は非公開でゾルゲ,尾崎に死刑を判決,同年 11月7日に2人は処刑された。

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世界大百科事典(旧版)内のゾルゲ事件の言及

【伊藤律】より

…37年夏,長谷川浩と共産党再建活動を始め,39年8月からは満鉄東京支社調査室に勤務。同年11月の再検挙で転向,40年8月には保釈されて満鉄に復帰し,尾崎秀実に急接近したが,保釈のおりの不用意な供述が,のちにゾルゲ事件の発覚を招いた。41年9月の保釈取消しで満鉄を解雇。…

※「ゾルゲ事件」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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