アメリカの女性ジャーナリスト,作家。ミズーリ州の貧農の家に生まれ,職業婦人として自活しながら教育を受けた。1917年,第1次大戦下のニューヨークでインド人活動家たちと知り合い,独立運動を支援してスパイ容疑で投獄される。自伝的小説《女一人大地を行く》(1920)は,強い自立心と不正を憎む性質をたくまず表現しており,第2次大戦前に白川次郎(尾崎秀実の筆名)訳で日本に紹介され,反響をよんだ。20年にヨーロッパへ渡り,ベルリンでインド国民会議派左派のビレンドラナート・チャトパジャーヤと同棲。28年にこの生活を解消して《フランクフルター・ツァイトゥング》紙特派員として中国へ赴いた。上海で魯迅,丁玲,尾崎秀実などと交友を深めながら,持ちまえの貧しい者への共感によって共産党の行動に関心をもち,《中国紅軍は前進する》(1934)を書く。37年,延安に入り,朱徳の人格に魅せられて伝記を執筆しはじめたが,日中戦争が勃発したので八路軍の前線に赴いて《中国は抵抗する》(1938)を書く。また宋慶齢らとともに中国赤十字運動でも活躍した。41年帰米,代表作《中国の歌ごえ》(1943)によって,アメリカ人の独立の精神と中国人の反ファシズムの戦いを重ねあわせた力強い世界を構築してみせた。戦後,冷戦体制のなかでゾルゲ事件に関連した容疑を受け,圧迫されるが,困窮の中で朱徳伝の執筆を続けた。独立を達成したネルーのインド,朱徳の中国から招かれ,とりあえず49年にイギリスへ向かったが,翌年同地で死去,遺言によって北京に葬られた。心血を注いだ朱徳伝《偉大なる道》は世界にさきがけて55年,日本で発表された。アメリカの中国ジャーナリストのなかでは,もっとも主情的,行動的に中国の紹介につとめ,とくに日本において高く評価される。
執筆者:春名 徹
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アメリカのジャーナリスト。ミズーリ州北部の貧農に生まれ、女工などをしながら、18歳で臨時教員の資格をとる。20歳で結婚したが、まもなく離婚。サン・ディエゴ師範学校、ニューヨーク大学夜間部で苦学する。1918年、インド独立運動家を助けたために逮捕され、3か月入獄、釈放後、処女作『刑務所の仲間たち』(1919)を出版。1919年ドイツに渡り、インド人革命家チャトパジャーヤV. Chattopadhyaya(1880―1941)と恋愛、8年間生活をともにする。1928年『フランクフルター・ツァイトゥンク』紙特派員として中国に渡り、これより12年間八路軍に従い、その活動を現地報道する。この間、尾崎秀実(おざきほつみ)と懇意になるが、1941年末に帰米。第二次世界大戦後、アメリカの反共化が進むにつれ圧迫が強まり、1949年にはゾルゲ事件に関連した容疑を受けた。同年秋、中国行きを目ざしてロンドンに渡ったが、1950年5月6日病没。遺言により、北京(ペキン)西郊八宝山の革命墓地に納骨された。朱徳の伝記『偉大なる道』が遺稿となり、1955年世界に先駆けて日本で出版された。ほかに自叙伝『女1人大地を行く』(1929)、『中国は抵抗する』(1938)、『中国の歌ごえ』(1943)などがある。
[鈴木ケイ]
『高杉一郎訳『中国の歌ごえ』(1957・みすず書房)』▽『阿部知二訳『偉大なる道』全2冊(岩波文庫)』▽『尾崎秀実訳『女1人大地を行く』(角川文庫)』▽『石垣綾子著『新版 回想のスメドレー』(1976・みすず書房)』
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1894?~1950
アメリカの女性革命作家。1928年中国に渡り,『中国紅軍は前進する』『中国の歌声』など中国共産党に関する数多くの著書を出版。なかでも朱徳の伝記『偉大なる道』は有名である。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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