吉田彦六郎(読み)よしだひころくろう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「吉田彦六郎」の意味・わかりやすい解説

吉田彦六郎
よしだひころくろう
(1859―1929)

化学者。広島県福山に生まれ、1880年(明治13)東京大学理学部化学科卒業。1891年理学博士の学位を得、1896年第三高等学校教授を経て、1898年京都帝国大学理科大学第三講座(有機製造化学)教授となり、1913年(大正2)辞職。いわゆる沢柳事件(さわやなぎじけん)(京大事件)の発端となった7教授の一人。ウルシの化学的研究の先駆者で、ウルシ汁が空気中で硬化する機構を研究し、酸化酵素の存在を推定した(1883)。これは、10年後にフランスのG・ベルトランが研究し、命名したラッカーゼにほかならず、その発見者として今日評価されている。

[道家達將]

『京大理学部化学・日本の基礎化学研究会編『日本の基礎化学の歴史的背景』(1984)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉田彦六郎」の解説

吉田彦六郎 よしだ-ひころくろう

1859-1929 明治-昭和時代前期の化学者。
安政6年生まれ。三高教授をへて,明治31年京都帝大教授となる。沢柳(さわやなぎ)事件の発端となった七教授のひとりで,大正2年辞職。ウルシの樹液中に酸化酵素の存在を推定。10年後フランスで確認され,ラッカーゼと命名された。昭和4年死去。71歳。備後(びんご)(広島県)出身。東京大学卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例