ベルトラン(読み)べるとらん(英語表記)Aloysius Bertrand

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ベルトラン」の意味・わかりやすい解説

ベルトラン(Aloysius Bertrand)
べるとらん
Aloysius Bertrand
(1807―1841)

フランスの詩人。本名Louis Jacques Napoléon Bertrand。父(ナポレオン軍の将校)の赴任地、現在のイタリア領チェバで生まれる。王政復古により退役した父とともにディジョンに移り、この町を魂の故郷とする。リセを中退して文学を志し、地方新聞『プロバンシアル』を創刊、最初の詩作品を発表する。1829年、自ら開拓した新しい詩のジャンル、散文詩六十数編からなる『地方風俗画集』を携えてパリに出るが、出版のめどがたたず、失意貧困を味わい故郷に戻る。32年、『夜のガスパール』と改題した散文詩集の草稿を持ってふたたびパリへ出、ロマン派の出版社ランデュエルと出版契約を結ぶ。しかし出版ははかどらず、極度の貧困に苦しむうちに結核に冒され慈善病院を転々とし、ついにネッケル病院で死亡。翌年、サント・ブーブ尽力で、『夜のガスパール』はアンジェのパビー書店から刊行された。

[及川 茂]


ベルトラン(Gabriel Emile Bertrand)
べるとらん
Gabriel Emile Bertrand
(1867―1962)

フランスの生化学者。パリに生まれる。1900年にパリのパスツール研究所員、1909年パリ大学教授、のちにパスツール研究所長となり、当時のフランス生化学の中心的人物であった。1923年にフランス学士院会員。彼の研究はガマ毒蛇毒に関するものから始まり、その後フェノール酸化酵素であるラッカーゼを発見した。また微生物によってつくられる糖類の研究を行ったが、還元糖の定量法(ベルトラン法)の考案で有名である。さらに、生物体内や土壌中の金属などの微量分析法を検討し、各元素の分布を研究した。第一次世界大戦中は毒ガスの研究も行った。

[宇佐美正一郎]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ベルトラン」の意味・わかりやすい解説

ベルトラン
Bertrand, Louis Marie Émile

[生]1866.3.20. ミューズ,スパンクール
[没]1941.12.6. アルプマリチーム,カップダンチーブ
フランスの小説家,評論家。エコール・ノルマル・シュペリュール (高等師範学校) に学んだ。処女作の評論『古典主義の終焉』 La Fin du classicisme (1897) ののち,『民族の血』 Le Sang des races (99) ,『恋人ペペート』 Pépète le bien-aimé (1904) など,北アフリカを舞台にした,写実的,抒情的な小説が多い。ほかに,小説『殉教の血』 Sanguis Martyrum (18) ,伝記『聖アウグスチヌス』 Saint Augustin (13) ,『ルイ 14世』 Louis XIV (23) など。アカデミー・フランセーズ会員 (25) 。

ベルトラン
Bertrand, Aloysius

[生]1807.4.20. イタリア,チェバ
[没]1841.4.29. パリ
フランスの詩人。本名 Louis Jacques Napoléon Bertrand。ディジョンに住んで地方新聞を主宰していたが,パリに出て,中世のディジョンを夢幻的に描いた散文詩集『夜のガスパール』 Gaspard de la nuitを書いた。作者の死後サント=ブーブによって出版 (1842) されたこの作品は,フランスで最初の散文詩の試みで,絵画的喚起力に富む韻律的な散文により,ボードレール,マラルメらの高い評価を受け,さらに 20世紀のシュルレアリストによる再評価を経て,今日ではロマン主義をこえる傑作とみなされている。生前は貧困と病に苦しみ,孤独のうちに結核で死亡。

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