大学事典 「沢柳事件」の解説
沢柳事件
さわやなぎじけん
第2次世界大戦前の国立大学において,大学の自治,とりわけ教員任免に関する教授会自治の慣行を生み出す契機となった事件。1913年(大正2)辣腕の文部官僚として知られていた沢柳政太郎が京都帝国大学総長(学長)に任命される。沢柳は教学刷新を主張し,教官の任用に業績主義を求め,同年7人の教授を罷免した。これに対し法科大学教授会は,当該教授会が教授の任免に没交渉であれば,学問の進歩・独立を保てないことなどを理由に,教授の任免にはあらかじめ教授会の同意を要することを決議して総長と対立した。論争は紛争へと発展し,1914年1月,法科大学の教授たちは抗議の連帯辞職を申し出た。調停を依頼された東京帝国大学法科大学の教授たちも教授会側を支持する姿勢を示した。その結果,当時の奥田義人文相は教授の任免については教授会の同意を得ることを承認する意見を発表するにいたる。沢柳は辞職に追い込まれた。これ以降,総長が教官人事を専断することはなくなり,人事権は事実上,学部教授会が持つという慣行が定着するようになる。
著者: 斉藤泰雄
出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報