吉田郡山城(読み)よしだこおりやまじょう

日本の城がわかる事典の解説

よしだこおりやまじょう【吉田郡山城】

広島県安芸高田市(旧高田郡吉田町吉田)にあった中世の大規模な山城(やまじろ)。国指定史跡。日本城郭協会選定による「日本100名城」の一つ。吉田盆地の北に位置し、約260年間にわたり毛利氏の居城であった。城域は約1km四方、南側の麓に内堀を設け、山頂部(標高360m)の本丸を中心に、放射状に270以上の曲輪(くるわ)が配置されていた。南北朝時代の1336年(建武3)に、安芸毛利氏の祖時親(ときちか)が築城した。毛利元就(もとなり)の代に、城域を郡山全体に拡張するとともに、戦国大名として勢力を拡大した。1540年(天文9)の吉田郡山城の戦いでは、出雲の尼子晴久(あまごはるひさ)の3万の軍勢が吉田郡山城に押し寄せたが、城に兵や領民合わせて8000人が立て籠もり、大内氏の援軍も得てこれを撃退した。元就の孫の毛利輝元(てるもと)の代には、石垣などを造って城の防備を固めた。しかし、山城としての限界が見え始めたところから、輝元は新たに広島城(広島市)を築き、1591年(天正19)本拠を移した。このため吉田郡山城はその役割を終え、江戸時代に入ると一国一城令により建物や石垣は壊され、堀も埋められた。現在、多数の曲輪が見られるほか、石垣や土塁の一部が残る。JR芸備線吉田口駅からバス20分で市役所前下車、徒歩15分で登山口入口。本丸跡のある山頂まで徒歩20分。

出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報

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