吉良貞家(読み)きらさだいえ

改訂新版 世界大百科事典 「吉良貞家」の意味・わかりやすい解説

吉良貞家 (きらさだいえ)

南北朝時代の武将生没年不詳。吉良経家の子。吉良氏は清和源氏足利流。建武政権下においては鎌倉府で,足利政権が樹立されると引付頭人として活躍する。1345年(興国6・貞和1)畠山国氏とともに陸奥国に下向し,両者ともに奥州管領となる。この二人管領制は観応擾乱(じようらん)をうけて解体し,51年(正平6・観応2)直義派の吉良貞家が尊氏派の畠山国氏を攻め殺した。のちに尊氏に属すが活動は停止。
奥州探題
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関連語 伊藤

日本大百科全書(ニッポニカ) 「吉良貞家」の意味・わかりやすい解説

吉良貞家
きらさだいえ
(?~1353)

南北朝時代の武将。奥州吉良家の経家(つねいえ)の子。修理権大夫(しゅりごんのだいぶ)、右京大夫(うきょうのだいぶ)。建武(けんむ)政権下では足利直義(ただよし)の鎌倉将軍府で廂番頭人(さしばんとうにん)となる。1345年(貞和元)畠山国氏(くにうじ)とともに陸奥国(むつのくに)に下向し、二人ともに奥州管領(かんれい)(奥州探題)として霊山(りょうぜん)、さらに宇津峯(うつみね)の南朝軍を攻めた。その後畠山国氏との対立を深め、観応(かんのう)の擾乱では足利直義派に属して、1351年(観応2・正平6)に足利尊氏(たかうじ)派となった国氏を攻め滅した。子の満家(みついえ)が管領職を世襲した。

[海津一朗]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉良貞家」の解説

吉良貞家 きら-さだいえ

?-? 南北朝時代の武将。
吉良経家の子。奥州吉良氏。建武(けんむ)政権につかえ,室町幕府成立後は引付頭人。貞和(じょうわ)元=興国6年(1345)奥州管領のひとりとなり,陸奥(むつ)多賀国府(宮城県)を拠点に南朝勢力とたたかう。観応(かんのう)の擾乱(じょうらん)に際しては足利直義(ただよし)に属して足利尊氏方の奥州管領畠山国氏をやぶった。

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世界大百科事典(旧版)内の吉良貞家の言及

【奥州探題】より

…奥州総大将の職権は軍勢催促,軍忠証判・注進などの軍事指揮権を中核とするものであったが,のちになると義房は所領の安堵,充行(あておこない),兵糧米徴収等の権限を行使し,統治権をも掌握しようとした。そのため45年(興国6∥貞和1)奥州総大将を解任され,かわって畠山国氏,吉良貞家が奥州に派遣された。この両者から奥州管領の呼称がみられ,ここに奥州管領制が成立し,二人管領制となった。…

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