吉野町館跡(読み)よしのまちやかたあと

日本歴史地名大系 「吉野町館跡」の解説

吉野町館跡
よしのまちやかたあと

[現在地名]豊科町大字豊科 吉野

成相なりあい(現豊科町)追分から松本に至る松本道沿いの吉野町並に位置する。

町並の長さは二・五町で、出入口に鉤手がつくられている。町並の中央、小路こうじ(家号)の東方六〇間の所に方四五間のほりうち(伝承地名)がある。地字を元屋敷もとやしきという。この前面に南北四〇間、東西三五間の副郭がある。南東六〇間の所に屋敷神の熊野権現社がある。更に南七〇間の所に古宮跡があり、これはかつての諏訪神社で、享保一九年(一七三四)に吉野村の西境の現在地に移す。

吉野町館はだれが居館したか明白でないが、天正一一年(一五八三)一一月三〇日、小笠原貞慶が日岐丹波守に重恩として、北山三〇貫文、日岐山四〇貫文、大穴三〇貫文、堀之内三〇貫文、一日市場三〇貫文、本領吉乃(野)七〇貫文を宛行っており、日岐(丸山)丹波守の本領が吉野とされていることからして、彼の居屋敷をこの吉野町の堀ノ内に一応比定する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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