日本歴史地名大系 「名田村」の解説 名田村なたむら 三重県:志摩郡大王町名田村[現在地名]大王町名田波切(なきり)村の北にあり、畔名(あぜな)村の南に接する。太平洋に面し、隆起海食台地で低地はほとんどない。長の塚(ちようのつか)古墳は円墳(径七メートル、高さ二メートル)で須恵器坏と直刀片を出土し、前の浜(まえのはま)遺跡は古墳期以後のもので防潮堤築造のため破壊された。近世を通じて鳥羽藩領で英虞(あご)郡に属した。享保一一年(一七二六)の村差出帳(徳川林政史蔵)によれば、高一三三・六二六石のうち浦役八斗、水主米一八・九〇一石が寛文四年(一六六四)から定引となっている。 名田村みようでむら 宮崎県:宮崎市名田村[現在地名]宮崎市下北方町(しもきたかたちよう)下北方村の南西、大淀川が南へ湾曲する左岸に位置する。天正一六年(一五八八)八月四日の日向国知行方目録に「明手」一〇町とみえ、高橋元種領となっている。領主の変遷は上別府(かみべつぷ)村と同じ。寛永一一年(一六三四)の指出(国乗遺聞)では高二一八石余。万治四年(一六六一)の延岡藩村高内検高覚では内検高三二〇石。元禄国絵図では高三四〇石余。延岡藩大島組一〇ヵ村の一つで、庄屋は下北方村庄屋小川作兵衛が兼帯していた(「宮崎役所万覚」内藤家文書)。明治二年(一八六九)の竈数石高人別調帳では竈数二八・人数一〇九。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by