日本歴史地名大系 「名護屋城跡」の解説
名護屋城跡
なごやじようあと
[現在地名]鎮西町大字名護屋など
標高八〇メートル余の
この地にはもと松浦党の名古屋氏の居城垣添城(垣副城)があったが、豊臣秀吉が朝鮮出兵の基地としてここに加藤清正らに新たに築城させたという。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
標高八〇メートル余の
この地にはもと松浦党の名古屋氏の居城垣添城(垣副城)があったが、豊臣秀吉が朝鮮出兵の基地としてここに加藤清正らに新たに築城させたという。
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出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
その議会の過半数には達しないが、議席数をもっとも多くもつ政党。...