向小島城跡(読み)むかいこじまじようあと

日本歴史地名大系 「向小島城跡」の解説

向小島城跡
むかいこじまじようあと

[現在地名]古川町信包

中世中期から末期にかけての山城跡。みや川と殿との川に挟まれた大村おおむら山の北端にあり、信包のぶか集落との比高一四〇メートル。北は越中西街道を扼し、東は古川盆地一望に収める。築城年代・創築者ともに不明だが、飛騨国司姉小路氏の居城で、家綱が建武新政期に荒城あらき郡信包城にいたという(「尊卑分脈」など)。また応永(一三九四―一四二八)頃には姉小路一族の向家熙が居城し、小島の対岸にあるため向小島とよび、これが広く当地域一帯呼称となった。のち小鷹利城が本拠となったので一帯は小鷹利こたかり郷とよばれるようになったと思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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