向瀬村(読み)むこせむら

日本歴史地名大系 「向瀬村」の解説

向瀬村
むこせむら

[現在地名]志雄町向瀬

石坂(いしさか)村の北にあり、向瀬川の河岸段丘上に集落を形成。正保郷帳によると高三〇九石余、田方一〇町七反・畑方九町九反余、免二ツ八歩三厘。寛文一〇年(一六七〇)の村御印(向瀬区有文書)では高三四一石、免五ツ四歩、新開高三石、小物成は山役一五〇目・苦竹役一八匁、鳥役一〇匁(出来)。享保一六年(一七三一)の豪雨による山崩れで六七石の検地引高があり、宝暦七年(一七五七)には石坂村との間で宝(ほう)ノ蔵(くら)山柴刈権をめぐって争っている(志雄町史)。天保年間(一八三〇―四四)の村明細の高二七八石余、家数四七・人数二〇七、馬七、稼は杪・柴・苧。米作のほかわずかに大麦・小麦・菜種・黍・粟・芋・大豆などを作り、幕末の小物成に油臼元役八匁・油小売役三匁・合役七匁があり、紙漉が一軒あった(明治元年「巨細帳」岡部文書)、木炭・柴・杪類を産出(能登生産記)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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