日本歴史地名大系 「向郷村」の解説 向郷村むかいごうむら 千葉県:君津市旧望陀郡地区向郷村[現在地名]君津市向郷愛宕(あたご)村の東、小櫃(おびつ)川左岸に位置する。亀山(かめやま)郷の交通の要衝で、西野(にしの)村・蓮見(はすみ)村・谷向(たにむかい)村からのそれぞれの道が集まる。文政九年(一八二六)まで武蔵川越藩の陣屋が置かれた。中世は久留里(くるり)のうち。天正一六年(一五八八)六月一七日に里見義康が正善院(現富浦町)に対して「久留里向郷之内愛宕山」の不入を認めており(「里見義康判物」田代文書)、西方の愛宕山が郷内に含まれていた。 向郷村むかいごうむら 埼玉県:日高市向郷村[現在地名]日高市中沢(なかざわ)中沢村の西にあり、西・北は女影(おなかげ)村。天正一九年(一五九一)七月内藤織部(種次)は「むかいごう」三六石余を宛行われた(記録御用所本古文書)。以後幕末まで旗本内藤領。田園簿には向郷とあり田五石余・畑三〇石余、日損場と注記される。元禄・天保両郷帳には中沢村枝郷として向郷村が記されるが、「風土記稿」では中沢村のうちに含まれており、幕末の改革組合取調書でも同村に一括されていることから、幕末までに中沢村に合併したとみられる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by