日本歴史地名大系 「含粒寺跡」の解説 含粒寺跡がんりゆうじあと 鹿児島県:肝属郡吾平町上名村含粒寺跡[現在地名]吾平町上名姶良(あいら)川(大川)と苫野(とまの)川(西岳川)の合流点の南にあった。宝陀山と号し、曹洞宗。本尊は千手観音。鹿児島福昌寺末寺。正長二年(一四二九)の開基、開山は福昌寺三世仲翁守邦。仲翁は島津元久の嫡男であったが仏門に入り、そのため奥州家は元久弟久豊さらにその子忠国へと継承された。正長二年忠国は当寺を建てて仲翁を招き、住持とし、また姶良庄白坂(しらさか)八町・亀(かめ)ヶ宇都(うと)五町(ともに大字上名のうち)を寄進した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by