日本歴史地名大系 「含翠堂跡」の解説
含翠堂跡
がんすいどうあと
[現在地名]平野区平野市町三丁目
享保二年(一七一七)五月五日、
従子杲
」の一節「遅々澗畔松 鬱々含
晩翠
」の一節から採って含翠堂と改めたという。
創設の中心は土橋友直で、友直は
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
享保二年(一七一七)五月五日、
従子杲
」の一節「遅々澗畔松 鬱々含
晩翠
」の一節から採って含翠堂と改めたという。
創設の中心は土橋友直で、友直は
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...