コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

三輪執斎 みわしっさい

6件 の用語解説(三輪執斎の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

三輪執斎
みわしっさい

[生]寛文9(1669).京都
[没]寛保4(1744)
江戸時代中期の陽明学派の儒学者。名は希賢,字は善蔵,号は執斎,躬耕廬。 19歳のとき江戸に出て,佐藤直方朱子学を学んだ。のち中江藤樹の書を読み,陽明学に転じた。酒井藩に出仕したが,致仕後は江戸に戻り,家塾明倫堂を開き,子弟の教育にあたった。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

三輪執斎【みわしっさい】

江戸中期の陽明学者。名は希賢,字は善蔵。京都の人。崎門(きもん)三傑の人,佐藤直方(なおかた)に学ぶ。致良知の説を尊び,1712年王陽明の《伝習録(でんしゅうろく)》に標注を加えて翻刻し,中江藤樹熊沢蕃山なきあと江戸の地での陽明学の先駆をなした。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

三輪執斎 みわ-しっさい

1669-1744 江戸時代中期の儒者。
寛文9年生まれ。沢村親重の次男。佐藤直方に朱子学をまなぶ。前橋藩酒井家につかえたが,辞職して陽明学に転向。京坂でおしえ,のち江戸に明倫堂をひらいた。正徳(しょうとく)2年(1712)刊行の「標註伝習録」はわが国初の「伝習録」注釈書。寛保(かんぽう)4年1月25日死去。76歳。京都出身。名は希賢。通称は善蔵。別号に躬耕廬。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

三輪執斎

没年:延享1.1.25(1744.3.9)
生年:寛文9(1669)
江戸前・中期の儒学者。名は希賢,通称は善蔵,執斎は号。京都に生まれ,19歳で江戸に出て,山崎闇斎の高弟佐藤直方から朱子学を学ぶ。のちに陽明学に傾倒し,王陽明の致良知説を奉じる。一時上野(群馬県)厩橋藩に仕えるが,致仕する。京都に帰ったのち,再び江戸に出て学舎明倫堂を設立し,子弟を教育する。『標註伝習録』(全3巻附録1巻)は,王陽明の語録『伝習録』の注釈書として最も初期のものであり,日本における陽明学の普及に大きな功績を果たした。その他,高弟河田琴卿が講述を筆記した『伝習録筆記』や,『日用心法』などがある。和歌に巧みであったことでも知られる。例えば,王陽明の「四言教」のなかの「無善無悪は心の体」という語について,「行く舟のなにかさはらむよしもなくあしも南仁波の水のこころに」と詠んでいる。陽明学に対する堅実な理解と平易な解説は,その純篤至誠な人柄とともに,高く評価されている。

(柴田篤)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

大辞林 第三版の解説

みわしっさい【三輪執斎】

1669~1744) 江戸中期の儒学者。京都の人。名は希賢、通称は善蔵。崎門の佐藤直方に学んだが、のち陽明学に転じ、王陽明の「伝習録」を標注翻刻した。著「日用心法」など。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

三輪執斎
みわしっさい
(1669―1744)

江戸中期の儒学者。寛文(かんぶん)9年京都に生まれる。名は希賢。字(あざな)は善蔵。山崎闇斎(やまざきあんさい)門下の佐藤直方(さとうなおかた)に師事して程朱(ていしゅ)学を学んだが、やがて陽明学に転じ直方に絶交された。のち和解。京、大坂、江戸と居所を転々とかえ、大坂では平野含翠(がんすい)堂で講師となり、さらに江戸に出て学塾明倫(めいりん)堂を開くなど陽明学派再興に力を尽くした。晩年は病を得て帰京し、延享(えんきょう)元年5月25日、76歳で死去した。著書には『標注伝習録(ひょうちゅうでんしゅうろく)』(1712)『日用心法(にちようしんぼう)』『大学俗解(だいがくぞくかい)』など数多くある。[上田 穣]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の三輪執斎の言及

【伝習録】より

…上巻は40歳代の語録,中巻は主に50歳代の書簡,下巻は主に50歳代の語録。日本では,三輪執斎の《標註伝習録》が広く読まれ,陽明学の普及に大きな貢献を果たした。【吉田 公平】。…

【陽明学】より

…日本においては陽明学は不幸な出発を強いられたのである。江戸初期には中江藤樹,熊沢蕃山,中期には三輪執斎(みわしつさい)(1669‐1744)が出て陽明学を宣揚したが,古学派,古文辞学派におされてふるわなかった。しかし,幕末維新期を迎えると,陽明学は思想運動としてもっとも盛り上がり,佐藤一斎,大塩平八郎(中斎)が活躍したが,とりわけ佐藤一斎門下から維新期に活躍した陽明学者が輩出した。…

※「三輪執斎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

三輪執斎の関連キーワード朝山素心越智高洲植木筑峯大塚稼圃倉成竜渚田辺整斎中野撝謙由美原泉由良箕山留守希斎

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone