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中井履軒 なかい りけん

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美術人名辞典の解説

中井履軒

江戸後期の儒者。大坂生。儒者中井甃庵の次男、竹山の弟。名は積徳、字を処叔、通称は徳二。兄竹山と共に父の設立した懐徳堂で五井蘭洲朱子学を学び、その学説には独特の見解をうちたてる所があった。竹山の懐徳堂経営を助けると共に、私塾水哉館を開く。文化14年(1817)歿、86才。

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デジタル大辞泉の解説

なかい‐りけん〔なかゐ‐〕【中井履軒】

[1732~1817]江戸中期の儒学者。大坂の人。名は積徳。甃庵(しゅうあん)の次男。兄竹山とともに五井蘭洲に学び、折衷主義的で自由な学風を樹立した。著「七経逢原」「年成録」など。

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百科事典マイペディアの解説

中井履軒【なかいりけん】

江戸中・後期の朱子学者。名は積徳(せきとく),字は処叔(しょしゅく),通称は徳二。中井竹山の弟。自ら幽人と称して世を避け,経学(けいがく)に没頭し,学識超凡であった。
→関連項目懐徳堂山片蟠桃夢の代

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

中井履軒 なかい-りけん

1732-1817 江戸時代中期-後期の儒者。
享保(きょうほう)17年5月26日生まれ。中井甃庵(しゅうあん)の次男。兄中井竹山とともに大坂の学問所懐徳堂で五井蘭洲(らんしゅう)に朱子学をまなぶ。私塾水哉(すいさい)館をひらいていたが,享和4年兄の死後懐徳堂の学主となった。文化14年2月15日死去。86歳。大坂出身。名は積徳。字(あざな)は処叔。通称は徳二。著作に「七経雕題(ちょうだい)略」「七経逢原(ほうげん)」「通語」など。

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世界大百科事典 第2版の解説

なかいりけん【中井履軒】

1732‐1817(享保17‐文化14)
江戸中期の大坂の儒学者。名は積徳,字は処叔,通称は徳二。履軒幽人,天楽楼主人などと号した。甃庵の次男で竹山の弟。父および五井蘭洲に師事,才識卓抜,経義に精通した。塾を水哉館という。社交を好まず,経旨に沈潜し《中庸》を重視,また古韻を研究した。著書は《七経雕題(しちけいちようだい)》《七経逢原》《諧韻瑚璉》《履軒古韻》《水哉子》《越俎弄筆》《安良満保志》《弊帚》など。【水田 紀久】

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大辞林 第三版の解説

なかいりけん【中井履軒】

1732~1817) 江戸中・後期の儒者。甃庵の次子。竹山の弟。竹山没後、懐徳堂を主宰。主著「七経逢原」

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

中井履軒
なかいりけん

[生]享保17(1732).5.26. 大坂
[没]文化14(1817).2.15. 大坂
江戸時代中期~後期の折衷学派の儒学者。名は積徳,字は処叔,通称は徳二,号は水哉,天楽楼。懐徳堂の創始者中井甃庵 (しゅうあん) の次男。竹山の弟。朱子学を五井蘭州に学び,大坂和泉町に水哉館を開き,諸説を折衷して一家をなし,竹山の没後,懐徳堂で教えた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

中井履軒
なかいりけん
(1732―1817)

江戸後期の儒学者。享保(きょうほう)17年大坂に生まれる。通称は徳二。名は積徳。字(あざな)は処叔(しょしゅく)。父は懐徳堂(かいとくどう)の2代学主中井甃庵(しゅうあん)(1693―1758)。兄は竹山(ちくざん)。五井蘭洲(ごいらんしゅう)に師事し、程朱(ていしゅ)学を主とする道学を学ぶが、その学風は折衷学的であった。1766年(明和3)大坂・和泉(いずみ)町に学塾水哉館(すいさいかん)を開いて教授した。兄竹山に比べ交際範囲は少なく、もっぱら研究と著述に従事した。また蘭学にも興味を示し、医者兼天文学者麻田剛立(あさだごうりゅう)と交わり、解剖所見として『越俎弄筆(えっそろうひつ)』(1773成立)をまとめた。そのほか多数の著述があるが、代表作に『七経逢原(しちけいほうげん)』『七経雕題略(ちょうだいりゃく)』『年成録(ねんせいろく)』などがある。文化(ぶんか)14年2月15日、86歳で没した。[上田 穣]

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世界大百科事典内の中井履軒の言及

【太陽暦】より

…日本では1873年(明治6)から太陽暦が採用されたが,一部の人たちにはそれ以前にも太陽暦は知られていた。古くは戦国時代の末ころよりキリシタンの人々に利用されていたが,江戸時代の本多利明は太陽暦の便利さを説いているし,同じころ,中井履軒や山片蟠桃は太陽暦の見本を作っていた。1795年には太陽暦の1月1日に蘭方医大槻玄沢によってオランダ正月が祝われた。…

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