鹿屋(読み)カノヤ

デジタル大辞泉 「鹿屋」の意味・読み・例文・類語

かのや【鹿屋】

鹿児島県大隅おおすみ半島中西部にある市。農業商業が盛ん。自衛隊の航空基地がある。平成18年(2006)1月輝北きほく町・串良くしら町・吾平あいら町と合併。人口10.5万(2010)。

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精選版 日本国語大辞典 「鹿屋」の意味・読み・例文・類語

かのや【鹿屋】

(カヤが密生していたところから呼ばれた) 鹿児島県大隅半島中西部の地名。天正八年(一五八〇)伊集院氏が城下町建設。第二次世界大戦末期には特攻隊基地がおかれた。昭和一六年(一九四一市制

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改訂新版 世界大百科事典 「鹿屋」の意味・わかりやすい解説

鹿屋[市] (かのや)

鹿児島県南東部,大隈半島中央部にある市。2006年1月旧鹿屋市と吾平(あいら),輝北(きほく),串良(くしら)の3町が合体して成立した。人口10万5070(2010)。

鹿屋市南東部の旧町。旧肝属(きもつき)郡所属。人口7357(2005)。大隅半島中央部に位置する。北から南に肝属平野南端の低地,シラス台地肝属山地と続き,中央部を姶良(あいら)川が北流する。町名は神代三山陵の一つ吾平山上陵にちなむ。古代末から中世にかけて姶良荘に属し,鎌倉時代は御家人姶良氏,南北朝期以降は肝付氏,禰寝氏が支配し,天正期(1573-92)に島津氏の領地となり,江戸時代に及ぶ。農業を基幹産業とし,河川沿いの沖積低地には水田が開かれ,台地上ではカンショ,タバコ栽培のほか肉牛,豚などの飼養が行われている。県立大隅広域公園がある。
執筆者:

鹿屋市中部の旧市。大隅半島中央部にある。1941年市制。人口8万1471(2005)。市名は古くここに住んだ熊襲(くまそ)の人名によるという説と,茅(かや)が茂っていたからという説がある。古くから地方の中心で,17世紀半ばからは薩摩藩の直轄地となった。明治以後も郡役所や官公署が置かれるなど地方の中心として発展し,1912年には県内2番目に町制をしいた。36年海軍航空隊が置かれ,特攻隊の発進基地として知られた。第2次大戦後は海上自衛隊の航空基地となっている。産業別就業者人口は自衛隊員の多い公務員を除いても約半数が第3次産業で,大隅半島の中心都市であることを示すが,工業は貧弱である。農業は,中央を南流する鹿屋川沿岸の米のほかは,北東部の笠野原台地や南部の鹿屋原台地の畑作農業であり,以前はサツマイモ,麦,陸稲,ナタネなどが中心であったが,笠野原の畑地灌漑事業が進み,野菜栽培,酪農,畜産などを組み合わせた多角的農業に発展している。またこの事業のためにつくられた高隈(たかくま)ダム(1967完成)の人工湖は観光地やスポーツ基地として利用されている。バス路線で志布志や垂水,霧島市の国分方面へ結ばれている。
執筆者:

鹿屋市北部の旧町。大隅半島北部に位置する。旧曾於(そお)郡所属。人口4108(2005)。西部は高隅山地,東部はシラス台地で,菱田川支流の梅ヶ渡川,平房川,堂籠川が南東に流れ,浸食谷を形成する。町面積の75%は山林であるが,谷底低地は水田,台地上はカンショ主体の畑地に利用されている。古くから馬産地として知られ,町名も1956年の町制施行の際,良馬を意味する驥と同音の輝をあてて輝北とした。〈きれいな星空日本一〉の常連で,天体観測施設・輝北天球館がある。

鹿屋市東部の旧町。大隅半島頸部に位置する。旧肝属郡所属。人口1万3272(2005)。町域の大半はシラスの笠野原台地からなり,東部と南部には串良川,肝属川が作る沖積低地が展開する。古くは島津荘寄郡串良院の地で,近世は東接する東串良町とともに薩摩藩直轄の串良郷を形成していたが,1889年の町村制施行により東・西串良村に分割され,1932年の町制施行によって西串良村が串良町となった。笠野原台地の畑地,肝属川流域の水田地帯は古くからシラス特有の崖崩れ,洪水に悩まされてきたが,農地保全事業,笠野原畑地灌漑事業によって災害は減少した。古くからの集落は台地の崖下に多く,台地中央部では甑(こしき)島からの移住者によって天明年間(1781-89)に開拓された富ヶ尾が最も古いという。
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