味原牧(読み)あじふのまき

日本歴史地名大系 「味原牧」の解説

味原牧
あじふのまき

東淀川区の北東部にあった典薬寮に所属した牛牧。乳牛を飼育したところから乳牛ちちうし牧ともよばれた。その位置について「遊女記」は「謂江口、蓋典薬寮味原厨、掃部寮大庭荘也」と記して、味原厨(味原牧)江口えぐちのそばにあったとし、永承三年(一〇四八)の「宇治関白高野山御参詣記」の一〇月一一日条には、「乳牛牧前水絶瀬改、弥有往還之煩」とあり、乳牛牧が淀川に沿って存在したことを示している。この牧はすでに律令国家のもとで成立し、「延喜式」(典薬寮)などの規定によると、その運営方法は次のようであった。牧の住民は供御人として牛を飼育して牛乳および蘇・酪を製するとともに、毎年、四歳から一二歳までの新しい母牛七頭とその犢七頭を典薬寮の乳牛院へ送り、古い牛を引取ることを義務づけられていた。乳牛院では、この母牛から牛乳をとり薬用として使用した。牡牛は、牧で薬園耕作に使役し、同時に父牛として牛の繁殖をはかった。死んだ牛の皮は売却し、その金は典薬寮の修理費に充てられることになっていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報