朝日日本歴史人物事典 「和久宗是」の解説
和久宗是
生年:天文4(1535)
安土桃山・江戸前期の武将。河合某の子。通称又兵衛。出家して自庵宗是と号した。三好氏の臣和久掃部頭の女婿となり,その家督を継いだ。はじめ三好氏,さらに足利義昭に仕え,織田信長に属した。信長死後豊臣秀吉に仕え,天正18(1590)年の小田原攻めのときは秀吉の使者として伊達政宗に小田原参陣を督促し,以後,政宗と密接なつながりを持ち,政宗の大坂方情報源となった。その縁で,秀吉死後は政宗に招かれてその家臣となり,陸奥黒川郡で2000石を与えられている。慶長19(1614)年,大坂冬の陣には「秀吉殿の恩に報いるときがきた」と伊達家を去って大坂城に入り,講和成立後もそのままとどまった。翌年,夏の陣がはじまると,自ら白衣を着て単騎東軍に突入し,壮絶な討死をとげた。
(小和田哲男)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報