和口村(読み)わぐちむら

日本歴史地名大系 「和口村」の解説

和口村
わぐちむら

[現在地名]磐田市和口

東新屋ひがしあらや村の東、太田おおた川西岸、同川の古川(和口川)が西へ湾曲する南側にある。山名やまな郡に属する。正平七年(一三五二)閏二月一五日の将軍足利尊氏下文写(土佐国蠧簡集残篇)に「鎌田御厨原・和口郷、常陸法眼行海并重高神主跡」とあり、松井弾正忠助宗に与えられた。永禄四年(一五六一)八月二日、和口など遠州所々の新田が今川氏から海老江菊千代に安堵された(「今川氏真判物」海老江文書)

天正一七年(一五八九)徳川氏の五ヵ国総検地の際に発給された七ヵ条定書により、村高の一〇分一を夫役負担の代償として年貢賦課から控除する十分一夫免が認められていた(宝永七年「訴状」五十子区有文書)

和口村
わぐちむら

[現在地名]御荘町和口

南流する和口川の細長い谷あいの平地に立地する。西は長洲ながす村、東は長月ながつき村、南は平城ひらじよう村に接する。

慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)宇和郡の項に「和口村 茅山有、柴山有、はへ山有」と村名がみえる。「宇和旧記」に載る、天正三年(一五七五)の文書に「和口溝之上」の名がみえるが、村名か否かは不明である。宇和島藩領。

太閤検地石高は二二一石三斗二升で、耕地面積の比率は田九六パーセント、畑四パーセント。寛文検地では石高が四パーセント減少し、耕地比率は田八八パーセント、畑一二パーセントとなっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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