和合恒男(読み)ワゴウ ツネオ

20世紀日本人名事典 「和合恒男」の解説

和合 恒男
ワゴウ ツネオ

大正・昭和期の農本主義教育者 瑞穂精舎塾長;長野県議。



生年
明治34(1901)年5月10日

没年
昭和16(1941)年5月16日

出生地
長野県東筑摩郡本郷村(現・松本市)

学歴〔年〕
東京帝国大学文学部印度哲学科〔大正14年〕卒

経歴
松本中学在学中から日蓮主義に傾倒し、松本高校時代には松本清明会を組織して大日本日蓮主義青年団にも加入。のち東京帝国大学文学部印度哲学科に進学、仏教運動家の妹尾義郎らとともに日蓮主義を研究したほか、農村思想家江渡狄嶺知遇を得る。大正14年に大学を卒業後、教師として長野高等女学校や加藤完治が校長を務める茨城県友部の国民高等学校などに勤務。昭和3年には私塾瑞穂精舎を開き、その塾長として農本主義・家族的共同生活に基づいた農村教育の実践を開始した。昭和初期の恐慌で農村が打撃を受けると、6年に農本主義的政治団体・日本農民協会を結成して機関誌「百姓」(のち「ひのもと」に改題)を創刊。のち民族主義に傾斜し、農村から満州への移民送り出しに奔走。また、農村救済のためたびたび国会に陳情を行い、10年には長野県会議員に当選した。和歌をよくし、著書に「和合文叢」「食生活革新」「聖詩集」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「和合恒男」の解説

和合恒男 わごう-つねお

1901-1941 大正-昭和時代前期の思想家。
明治34年5月10日生まれ。学生時代から日蓮主義に傾倒し,のち江渡狄嶺(えと-てきれい)の影響をうける。昭和3年郷里の長野県東筑摩郡で瑞穂精舎(みずほしょうじゃ)を設立,家族的共同生活による農本主義教育を実践する。雑誌「百姓」「ひのもと」を創刊し,6年日本農民協会を結成した。昭和16年5月16日死去。41歳。東京帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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