日本大百科全書(ニッポニカ) 「和平安定化軍」の意味・わかりやすい解説
和平安定化軍
わへいあんていかぐん
NATO-led Stabilization Force
略称SFOR。北大西洋条約機構(NATO(ナトー))主導の、ボスニア・ヘルツェゴビナに展開していた多国籍軍。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の再発防止を任務としていた。ボスニア・ヘルツェゴビナ和平協定(デイトン合意)調印に伴い、旧ユーゴスラビアに派遣された国連保護軍(UNPROFOR)から1995年12月に権限委譲を受けた平和実施軍(IFOR)の後継組織であり、停戦監視、兵力引き離し、ボスニア上空の空域管理などを任務とする。部隊の規模は、IFORが約6万人であったのに対し、その約半分の3万3000人(発足当時)。NATO加盟国(アイスランドは医療チームの派遣)のほか、ロシア、スウェーデンなどのIFOR参加国と、アイルランドなどが参加していた。ドイツは、1994年にドイツ憲法裁判所が、国連決議や派遣ごとの議会承認を条件に、NATO域外への派兵も合憲との判断を示したことから、第二次世界大戦後それまでNATO域外の地上へ派兵したことがなかったドイツ軍3000人を派遣した。
UNPROFORは人道援助が目的であり、武力介入を想定していなかったが、IFORは軍事面から和平協定の履行を支え、重火器などで重武装されており、攻撃や、攻撃の脅威を受けた場合には武力行使が許されていた。SFORはこの任務を引き継いだが、規模が約半分となったため、偵察や情報収集など空からの支援が強化され、文民部門の支援も地方選挙の実施などに絞られていた。当初は、活動期間はIFORの後を受け、1996年12月20日から1998年6月19日までの1年半とされ、早期に段階的に撤退することを目ざしていたが、NATOは1998年2月、期限切れ後も1998年9月のボスニア総選挙まで同規模での駐留を継続することを決定した。さらに、その後も体制は縮小(2002年1万2000人、2004年7000人)され、具体的に期限を設けないという方針で延長されていたが、2004年12月にヨーロッパ連合(EU)、ヨーロッパ理事会(欧州理事会)の指揮下にある多国籍軍(EUFOR)に任務が引き継がれた。
[浅野一郎・浅野善治]