平和維持活動(読み)へいわいじかつどう(英語表記)peacekeeping operation

精選版 日本国語大辞典 「平和維持活動」の意味・読み・例文・類語

へいわいじ‐かつどう ヘイワヰヂクヮツドウ【平和維持活動】

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デジタル大辞泉 「平和維持活動」の意味・読み・例文・類語

へいわいじ‐かつどう〔ヘイワヰヂクワツドウ〕【平和維持活動】

Peacekeeping Operations》⇒ピー‐ケー‐オー(PKO)

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改訂新版 世界大百科事典 「平和維持活動」の意味・わかりやすい解説

平和維持活動 (へいわいじかつどう)
peacekeeping operation

平和維持活動(略称PKO)という言葉は,平和維持に関する活動一般を指すのでなく,1960年代から広く用いられるようになった国際連合のある種の活動を指す。すなわち,国連が,武力衝突をともなう紛争や事態の平和的な収拾をはかる努力の一環として,軍事監視団や平和維持軍と呼ばれる小規模な軍事機関を現地に派遣して,停戦や兵力の引離し,撤退を監督し,休戦ラインのパトロール非武装地帯の査察,あるいは治安維持といった一定の任務に当たらしめ,これら国連を象徴する機関の現地介在(プレゼンス)を通じて事態の平穏化をはかる活動をいう。国連がその機関の現地介在により,事態の悪化を防ぐ方式は,国連の初期の段階から多様なかたちで行われており,とくに停戦監視員を現地に派遣する方法は,インドネシア(1947),パレスティナ(1948),カシミール(1949)での紛争に対して採用され,今日まで派遣されたPKOの大半はこの種のものである。しかし,平和維持活動という新しい言葉が使われるようになったのは,平和維持軍と呼ばれる,より規模の大きい部隊編成の軍隊が現地介在のために用いられてからのことである。1956年のスエズ動乱のさいに,国連総会の決議にもとづいて派遣された国連緊急軍UNEF)は,この種の平和維持活動の先例となった。その後,60年のコンゴ紛争にさいして派遣された国連軍(ONUC),62年西イリアンにおける国連の暫定統治の一翼を担った国連保安軍(UNSF),および64年キプロス内戦に対して派遣された国連平和維持軍(UNFICYP),さらに73年の第4次中東戦争にさいしてシナイ半島ゴラン高原にそれぞれ派遣された第2次国連緊急軍(UNEF II)と国連兵力分離監視軍(UNDOF),および78年に南レバノン派遣の国連暫定軍(UNIFIL)は,いずれもこの系列のものであり,冷戦後の92年の国連カンボジア暫定統治機構UNTAC),国連ソマリア活動(UNOSOM),旧ユーゴへの国連保護軍(UNPROFOR),国連モザンビーク活動(ONUMOZ)などのPKOもこの型に属する。

 以上の国連監視団や平和維持軍による平和維持活動は,国連憲章が第7章で本来予定した,平和破壊国や侵略国に対する軍事的強制行動とは,理念や性格を異にする概念である。そのおもな特色は,(1)その派遣や現地活動は,関係国,とくに受入れ国の要請や同意を前提とすること,(2)指揮系統の面でも,国連の直属の機関として国際的・中立的性格をもつこと,(3)戦闘を目的とせず,軽火器は保持するが,その使用は自己防衛の範囲でのみ許されること,(4)紛争当事者に対して中立的立場で臨み,国内問題に介入しないこと,(5)経費は原則として国連により賄われること,などである。平和維持活動の以上の性格は,UNEFの経験をもとに,実践を通じて形成発展し,伝統的PKOとして定着した。冷戦の終結後,一部のPKOに強制力を導入することが企てられたが(ソマリア,旧ユーゴの例),この企ては成功せず,かえって伝統的PKOの重要性が再評価されている。

 日本は1992年の〈国連平和維持活動協力法〉により,PKOへの積極的参加に踏み切ったが,憲法上の制約から,伝統的なPKOのうち後方支援活動に限定して,アンゴラ(UNAVEM II),カンボジア,モザンビーク,エルサルバドル(ONUSAL),ゴラン高原(UNDOF)のPKOに参加している。
国連軍
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「平和維持活動」の意味・わかりやすい解説

平和維持活動
へいわいじかつどう
Peace-keeping operations

略称PKO。国際連合の実践過程で編み出された特殊な平和活動をいう。すなわち、国連が武力紛争の平和的収拾を図るため、紛争当事者の同意のもとに、国連機関としての軍事組織を現地に派遣し、その中立的、非強制的な駐留活動を通じて、紛争の政治的解決への素地をつくる努力である。PKOには、部隊単位で編成される平和維持軍と、非武装の将校からなる軍事監視団の2種があり、冷戦後は、停戦や兵力引き離しの監視、武装解除のような軍事活動に加えて、選挙監視や人権擁護、技術援助といった政治的解決を目ざす諸活動と結び付いた多機能なものがみられる(第二世代のPKO)。しかし同意原則、中立性、自衛以外の武力の不行使といった伝統的なPKOの基本原則は、冷戦後もかわりはない。ソマリアや旧ユーゴスラビアの国連活動ではこれらの原則を逸脱した武力行使による成果をねらったが、成功しなかった。

 日本は、1992年(平成4)に「国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律(略称国際協力法またはPKO協力法)」を成立させたが、憲法上の制約から、自衛隊の参加はもっぱら伝統的PKO、しかも後方支援活動に絞られた限定的なものとなった。

 2001年12月、PKO協力法が改正され、これによって、いままで凍結されていた自衛隊のPKF(国連平和維持軍)の本隊業務(たとえば地雷除去作業など)への参加が解除となり、また自衛官の武器使用の範囲が若干緩和されることになった。なお、2010年までに自衛隊の部隊は、カンボジア、モザンビーク、ゴラン高原、東チモール、スーダン、ハイチなどのPKOに参加している。

[香西 茂]

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知恵蔵 「平和維持活動」の解説

平和維持活動

紛争の拡大防止や休戦協定履行監視、または選挙監視のため、加盟国が自発的に提供した要員を国連が編成し、派遣すること。非武装の監視団と軽武装の平和維持軍(PKF:Peace‐keeping Force)とに大別される。後者は侵略国等に攻撃を加え制圧すること(強制行動)が目的ではなく、軽武装で紛争当事者の間に割って入ることを主眼とする。国連の権威を背負う国際軍が紛争地域に存在すること、いわゆる国連プレゼンスによる紛争拡大防止策。兵力提供が強制でなく加盟国(原則的に中立的な中小国)の自発に待ち、派遣も受け入れ国の同意に基づく点(同意原則)、自衛のため以外は武力を行使しない点(自衛原則)、紛争当事者の一方に加担する行為は慎む点(中立原則)などで、集団安全保障体制下の強制行動とは本質的に異なる。憲章第6章に基づく紛争の平和的解決にも、第7章に基づく強制行動にも分類し難いという意味で、6章半活動とも呼ばれる。1988年、ノーベル平和賞受賞。非武装の停戦監視団としては、48年の国連パレスチナ休戦監視機構(UNTSO)、武装した平和維持軍としては56年の第1次国連緊急軍(UNEF・I)が最初の例。その後、通算61回設置され、うち16活動が現在も続行している。冷戦終結後、急に展開が増え、最盛期には84カ国から6万6000人を超える要員が派遣されたが、その後収縮したのち再び回復し、現在はまた7万2000人を超える。2006年6月までの死者数は2272人超。89〜90年の国連ナミビア独立移行支援グループ(UNTAG)や92〜93年の国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)のように、平和維持軍・停戦監視団・選挙監視団といった複合的機能を持つものが増えた。また国連イラク・クウェート監視団(UNIKOM)はいわゆる「6章半活動」ではなく憲章第7章に基づく点で、UNIKOMと旧ユーゴスラビアの国連保護軍(UNPROFOR)は紛争当事者の完全な受け入れ同意なしに実施された点で、それぞれ慣例を破った。さらに、増強された第2次国連ソマリア活動(UNOSOMII)及びUNPROFORは、自衛の範囲を超える広範な武力行使権限を与えられ、いわゆる平和執行部隊となり、従来の平和維持活動が変質したともいわれた。

(最上敏樹 国際基督教大学教授 / 2007年)

平和維持活動

地域紛争で停戦を維持したり、紛争拡大を防止したり、公正な選挙を確保するなどのための活動。日本は1992年9月からカンボジアに施設(工兵)大隊600人、停戦監視団8人、文民警察官75人を派遣、さらに93年5月には選挙要員41人が派遣された。だが、文民警察官が襲撃を受け死者1人、負傷者4人が出た。またモザンビークには輸送調整中隊など53人が93年5月から派遣された。96年2月からはシリアのゴラン高原の国連兵力引き離し監視軍に輸送小隊など約45人が派遣された。2002年3月からは国連東ティモール支援団に施設群680人と、暫定行政機構の司令部要員10人が派遣され、道路、橋などの建設に当たった。

(田岡俊次 軍事ジャーナリスト / 2007年)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「平和維持活動」の意味・わかりやすい解説

平和維持活動
へいわいじかつどう
peace-keeping operations; PKO

平和を脅かす局地的な紛争に際して,国連が小規模の軍隊ないし軍事監視団を派遣して事態の平穏化をはかり,平和の維持,回復のために行う暫定的な行動。国連憲章上の用語ではなく,実践過程のなかで具体的に形成された。冷戦の影響で安全保障理事会の五大国の一致がほとんど得られなかったため,国際平和と安全を維持するための便宜的措置として生み出された。非武装地帯の確保などにあたる軽武装の平和維持軍 PKFと非武装の停戦監視団に大別され,その活動は,関係当事者の同意や要請を前提として行われること,武力行使は自衛の場合に限られることを原則としている。強制行動と対比される平和維持活動は,1956年のスエズ動乱の際の国連緊急軍に始る。 65年には PKOを制度として確立するために平和維持活動特別委員会が設けられた。その後,冷戦終結と前後して地域紛争が各地で多発し,これらを管理する機能が国連に負わされたため PKOは一躍注目を集めるようになった。同時に,91年の湾岸戦争停戦決議後にイラクに課せられた制裁やクウェート国境へのイラク・クウェート監視団 UNIKOMの派遣決定にみられるように,PKO活動原則とされてきた関係当事者の同意も必要とされなくなるという事態を迎えた。さらに 92年に安保理の要請を受けて公表された国連改革案 (「平和の課題」) では PKOに加えて平和創造活動 PMOや平和執行部隊の創設などの必要性があげられており,PKOは新たな局面を迎えることとなった。

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世界大百科事典(旧版)内の平和維持活動の言及

【国際連合】より

…これは,強制行動への参加が国連の指揮の下に行われることへの諸国の拒否反応によるものであり,その後の国連の平和強制機能においては,いずれも湾岸戦争型の変則的な方式が踏襲されている。(3)平和維持活動 朝鮮動乱の終結を境として,国連においては,平和破壊に対して強制力ないし制裁を加えることにより平和を回復する集団安全保障よりも,武力紛争の悪化を防ぎ,また武力衝突を平和的に収拾するための諸方策に力点を置く傾向が強まっている。そのような方式として,1956年のスエズ動乱の際に国連が現地に派遣した国連緊急軍をはじめ,その後の一連の国連軍活動のように,交戦者の停戦,撤退という武力衝突の収拾を容易ならしめる手段として,平和維持軍や軍事監視団を現地に派遣し,その現地駐留によって停戦や兵力の撤退を促進し戦闘の再開を防止する,いわゆる〈平和維持活動〉の方式が重視され,活用されるようになっている。…

【国連軍】より

…世界平和と安全の維持を目的として国際連合が編成する国際軍隊。〈国連軍〉とは国連憲章上の正式な名称ではなく,その具体的な目的・構成・機能についても一定していないが,強制行動型国連軍(強制軍)と平和維持活動型国連軍(平和維持軍)とに大別できる。前者が国連憲章で集団安全保障体制の中軸として本来予定された国連軍である。…

【湾岸戦争】より


[戦争の意味]
 湾岸戦争は,アメリカの唯一の超大国としてのリーダーシップを示した初めての国際紛争であるが,それは紛争解決における国連の役割を前面に押し出す形で行われた。戦争自体を国連が正当化したことを初めとして,戦後も,通常は国内問題として扱われるクルド民族保護のための国連平和維持活動の展開などが,従来の国連の役割を超えた形で展開した。こうした国際的合意確立の過程で日本も金銭的支援の形で多国籍軍への協力が求められ,総額130億ドルの資金拠出を行ったほか,戦後はペルシア湾での機雷除去のための掃海艇が派遣された。…

※「平和維持活動」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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