旧ユーゴ戦争犯罪国際法廷(読み)きゅうゆーごせんそうはんざいこくさいほうてい(英語表記)International Criminal Tribunal for the Former Yugoslavia

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

旧ユーゴ戦争犯罪国際法廷
きゅうゆーごせんそうはんざいこくさいほうてい
International Criminal Tribunal for the Former Yugoslavia

旧ユーゴスラビア連邦の内戦の過程で行われた非人道的行為を裁く目的で設置された国際法廷。略称ICTY。旧ユーゴ国際刑事裁判所とも称される。1993年5月、国連安全保障理事会が設置を決議し、11月にオランダハーグ開廷。裁判の管轄権は1991年1月1日以降、旧ユーゴ内で行われた個人の戦争犯罪にのみ及ぶ。

 裁判は各国の裁判官からなる第一審(判事3人)と上訴審(判事5人)の二審制をとり、戦勝国が敗戦国の戦犯を裁いた第二次世界大戦後のニュルンベルク、東京の国際軍事法廷とは異なり、国連が「中立性」を旨として、平和に対する脅威、平和の破壊および侵略行為に対する行動を行った戦犯を裁くことになった。戦争の抑止効果もねらっている。1994年の国連安保理決議により設置されたルワンダ国際法廷とともに活動を展開した。

 1994年、法廷による最初の起訴ボスニアセルビア人に対してなされ、1995年に、ムスリム向けの強制収容所の責任者タディチDuško Tadić(1955― )の初公判が行われた(詳細後述)。これ以後、起訴されたのはクロアチア内戦、ボスニア内戦に関与した者から、1998年のコソボ紛争や2001年のマケドニア紛争の関与者にまで拡大した。その結果、アルバニア人、マケドニア人をも含むことになった。2010年10月時点で、起訴者の数は163人であり、その内訳はセルビア人が94人、クロアチア人が47人、ボスニア人とアルバニア人がそれぞれ9人、モンテネグロ人とマケドニア人がそれぞれ2人となっている。このほかは、民族的帰属が不明の者、起訴が撤回された者である。

 ボスニア内戦(ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争)が始まってまもない1992年夏、セルビア人勢力がボスニア北西部のオマルスカなどに設置した強制収容所の責任者で、ムスリムの殺害・虐殺に加担したとされるタディチ被告の公判は、1996年5月に始まった。1997年7月、罪状認否で争ったケースとしては初めてタディチ被告に一審判決が下された。求刑終身刑であったが、判決は禁錮20年の量刑であった。タディチ被告は同年5月に有罪評決を受けた段階で、すでに控訴手続をとった。上訴審で、タディチは国連によって設立された法廷の正当性について異議を唱えたが、一審の判決を覆すことはできず、20年の有罪判決で結審した。1997年7月に入り、ボスニアに展開されている多国籍軍の和平安定化軍(SFOR)がそれまでの方針を転換し、訴追されている戦犯の身柄拘束に乗り出した。ボスニア北西部のプリエドルではセルビア人被告2人のうち、地元病院長が逮捕され、抵抗したとされる元警察署長が射殺された。SFORの戦犯拘束作戦に対して、セルビア人勢力の反発が強まった。SFORは「大物」容疑者のカラジッチやムラディチRatko Mladić(1943― )逮捕に向けても動きをみせたが、身柄を拘束できなかった。セルビアの首都ベオグラードに潜んでいた、ボスニアのセルビア人勢力の政治指導者カラジッチが逮捕されたのは、2008年7月であった。国際法廷に起訴される者がセルビア人に偏っているなどの問題点はあるにせよ、法廷の審議の過程で、性暴力が戦争犯罪だとされたことは注目に値する。1995年7月にボスニア東部の町スレブレニツァで生じた、ムスリム大量殺害事件の責任者として起訴され、2001年8月に開廷されたセルビア軍事勢力の司令官クルスティチRadislav Krstić(1948― )の裁判では、この法廷で初めてジェノサイド罪が適用された。

 また旧ユーゴやルワンダでの紛争に関して一時的に設置された国際法廷は、2002年7月に開設された国際刑事裁判所に大きな影響を与えたといえる。2002年2月、コソボ紛争における反人道的行為などの容疑で収監されていたミロシェビッチに対する公判が始まったが、公判中の2006年3月、ハーグの拘置所で心筋梗塞(しんきんこうそく)によりミロシェビッチは死去した。

 この法廷による最後の起訴は2004年3月であり、2013年までに上訴審も終了し閉廷することを目ざしている。しかし、ボスニアのセルビア人軍事勢力指導者ムラディチと、クロアチアの「クライナ・セルビア人共和国」の政治家ハジッチGoran Hadžić(1958―2016)が起訴されながら、まだ逮捕されていないため、完全な閉廷は大幅に遅れざるを得ない。

[柴 宜弘]

 2008年に逮捕されたカラジッチは、2016年に禁固40年を言い渡された。

 2011年に逮捕されたムラディチは、2017年に終身刑を言い渡された。同じく2011年に逮捕されたハジッチは、2016年に死亡したため訴追手続は終了した。

[編集部]

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