和気 宥雄
ワケ ユウオウ
明治・大正期の僧侶 真言宗醍醐派大僧正・管長。
- 生年
- 天保13年(1842年)
- 没年
- 大正9(1920)年5月29日
- 出生地
- 讃岐国三豊郡麻村(香川県)
- 旧姓(旧名)
- 篠原
- 別名
- 号=積水
- 経歴
- 篠原利兵衛の三男として生まれる。11歳で仏門に入り、高野山で修行、長崎で周彬如について仏学・漢詩文を学ぶ。明治3年郷里・讃岐の多度津道隆寺住職、のち大護寺住職などを務めた。大講義に進み、33年真言宗醍醐寺91世座主兼三宝院42世門跡となり、道隆寺住職も兼務。のち醍醐派管長、大僧正となる。多度津道隆寺中興の祖。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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和気宥雄 わけ-ゆうおう
1842-1920 明治-大正時代の僧。
天保(てんぽう)13年生まれ。高野山でまなび,郷里讃岐(さぬき)(香川県)の道隆寺,大護寺の住職をつとめる。明治33年真言宗醍醐寺(だいごじ)座主(ざす)兼三宝院門跡(もんぜき),醍醐派管長となる。大僧正。大正9年5月29日死去。79歳。俗姓は篠原。号は積水。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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