和田波止(読み)わだのはと

日本歴史地名大系 「和田波止」の解説

和田波止
わだのはと

ひろ村に広御殿を造営した藩主徳川頼宣が、寛文年間(一六六一―七三)に一〇ヵ年を費やして和田の海域に築いた波止場。大波戸とよばれた。宝永四年(一七〇七)の大津波で破壊され、入船も途絶えるようになった。安永一〇年(一七八一)三月、広浦浜方庄屋飯沼仁兵衛らが藩に修築願を提出したが、許可が下りたのは一二年後の寛政五年(一七九三)であった。同年より享和二年(一八〇二)にかけて三期にわたり再築、長さ一二〇間。資金の総計五九〆四七四匁は、工事の世話人である湯浅ゆあさ(現湯浅町)と広の両浦の商人網元が主として負担している。藩の出資額もしだいに減少し、地元の諸商人の出資にも限界があり、それに代わる財源頼母子などに求めている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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