朝日日本歴史人物事典 「和田賢秀」の解説
和田賢秀
生年:生年不詳
南北朝期の武将。父は楠木正成の弟正氏(一説には正季)。通称は新発意。『太平記』には,新発意賢秀,和田新発意などとみえ,和田新兵衛高家の弟であったとも伝えている。正成の長子正行を惣領と仰ぎ,常にその命に従っていた。貞和3/正平2(1347)年紀伊国(和歌山県)の隅田党を破り,また幕府軍の山名時氏,細川顕氏を河内国(大阪府)藤井寺で破るなど目ざましい活躍をしており,楠木一族のなかでも武勇の誉れが高かった。しかし,翌年1月河内国四条畷で,正行らと共に,幕府軍の佐々木導誉,細川清氏,仁木頼章らと激戦のすえ,ついに敗死した。『太平記』の伝えるところによれば,正行の部下湯浅太郎左衛門の変心によって殺害されたという。時に20歳前後であったといわれる。
(小森正明)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報