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和田賢秀 わだ かたひで

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

和田賢秀 わだ-かたひで

にぎた-けんしゅう

和田賢秀 にぎた-けんしゅう

?-1348 南北朝時代の武将。
楠木正季(くすのき-まさすえ)の子。楠木正成(まさしげ)の死後,楠木正行(まさつら)にしたがって紀伊(きい)や畿内(きない)を転戦。河内(かわち)(大阪府)四条畷(しじょうなわて)で高師直(こうの-もろなお)の軍とたたかい,貞和(じょうわ)4=正平(しょうへい)3年1月5日戦死した。通称は新発意(しんぼち)。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

和田賢秀

没年:貞和4/正平3.1.5(1348.2.4)
生年:生年不詳
南北朝期の武将。父は楠木正成の弟正氏(一説には正季)。通称は新発意。『太平記』には,新発意賢秀,和田新発意などとみえ,和田新兵衛高家の弟であったとも伝えている。正成の長子正行を惣領と仰ぎ,常にその命に従っていた。貞和3/正平2(1347)年紀伊国(和歌山県)の隅田党を破り,また幕府軍の山名時氏,細川顕氏を河内国(大阪府)藤井寺で破るなど目ざましい活躍をしており,楠木一族のなかでも武勇の誉れが高かった。しかし,翌年1月河内国四条畷で,正行らと共に,幕府軍の佐々木導誉,細川清氏,仁木頼章らと激戦のすえ,ついに敗死した。『太平記』の伝えるところによれば,正行の部下湯浅太郎左衛門の変心によって殺害されたという。時に20歳前後であったといわれる。

(小森正明)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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