楠木正季(読み)クスノキマサスエ

精選版 日本国語大辞典 「楠木正季」の意味・読み・例文・類語

くすのき‐まさすえ【楠木正季】

  1. 南北朝時代の武将。正成の弟。七郎、帯刀と称する。河内の人。建武政権に仕え、窪所武者所所衆。湊川の戦いで敗北し、兄正成とともに自刃した。建武三年(一三三六)没。

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朝日日本歴史人物事典 「楠木正季」の解説

楠木正季

没年:建武3/延元1.5.25(1336.7.4)
生年:生年不詳
南北朝期の武将。楠木正成の弟正氏とする系図もある。七郎左衛門,帯刀と称す。後醍醐天皇の建武新政下で窪所,武者所などに属して政権の担い手となったが,建武3/延元1(1336)年の足利尊氏・直義軍と播磨湊川(神戸市)での戦に敗れ,兄正成と刺し違えて自害した。『太平記』の伝えるところによれば,正季は死に臨み「七生マデ只同ジ人間ニ生レテ,朝敵ヲ滅サバヤトコソ存候ヘ」と述べ,兄はこれを喜んだという逸話を残しており,兄と共に壮絶な最期をとげた。<参考文献>植村清二『楠木正成』

(小森正明)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「楠木正季」の解説

楠木正季 くすのき-まさすえ

?-1336 鎌倉-南北朝時代の武将。
楠木正成(まさしげ)の弟。河内(かわち)(大阪府)の人。兄正成と終始行動をともにし,建武(けんむ)政権下では窪所(くぼどころ),武者所の一員となる。建武3=延元元年足利尊氏(たかうじ)の大軍と摂津湊川(みなとがわ)(兵庫県)でたたかったがやぶれ,5月25日兄とさしちがえて死んだ。通称は七郎,帯刀(たてわき)。
格言など】七生まで只同じ人間に生れて,朝敵を滅さばや(「太平記」)

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