和草村
わそうむら
[現在地名]久井町和草
羽倉村の北東に位置する大村。「和佐宇村」とも書く。西はやや高い山地で泉・羽倉の両村に接し、他の三方は丘陵性の山地が発達し谷を形成。北の泉村より発した小川(御調川の支流)が中央部を南流し、南に位置する枝郷の黒河(黒郷)を経て坂井原村に至り、流域に標高三八〇メートル前後の低地部が広がる。北東部の字長谷に長谷古墳、南部の丘陵に大迫古墳があり、中ほどの丘陵から四十舟窯跡(四基)が発見されている。
当村はかつて杭庄に属し、慶長三年(一五九八)八月一五日の備後国御調郡杭稲荷社御祭御頭注文(山科文書)にみえる地頭分の名に村内の地名がみえる。また「芸藩通志」の墳墓の項に記す青木山城跡下方の古墓の銘に天正六年(一五七八)四月一一日の日付とともに「野上長門守」とあるが、これは村山家檀那帳(山口県文書館蔵)天正九年分の羽倉の項にみえる野上長門守と同一人物と思われ、当村は古くは羽倉村・中野村などと同一郷に属したと考えられる。
元和五年(一六一九)の備後国知行帳に「わさう村」として五五五・六六七石とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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