日本歴史地名大系 「唐比村」の解説 唐比村からこむら 長崎県:北高来郡森山町唐比村[現在地名]森山町唐比北名(からこきたみよう)・唐比東名(からこひがしみよう)・唐比西名(からこにしみよう)森山村の南方に位置し、南は橘(たちばな)湾に臨む。地名はカラコとよむが(享和三年郡村仮名付帳)、かつてはカラコロとよんだという。刳舟の断片などが発掘された唐比遺跡がある。西部に焼川某が城主であったという古城跡がある。江戸時代は諫早(いさはや)郷に属し、一時期を除き肥前佐賀藩親類同格の諫早家領。慶長国絵図に「宇木ノ内 唐子」とあり、正保二年(一六四五)の高来郡内高力氏領分図および正保国絵図では唐子村として高一一四石余。寛文四年(一六六四)の鍋島光茂領知目録(寛文朱印留)では唐比村とする。元禄国絵図でも高一一四石余で、玄梁院代配分村付帳では地米高八三石余。寛延三年(一七五〇)諫早茂行の不調法で上知されて佐賀本藩領となった一四ヵ村の一つで、同年の本地分は田一四町八反余・畦三町二反余で地米六二石余、ほかに山林一九町三反余、銀九三匁余、畑一四町六反余・茶一反余で地米二八石余、また新田三三町余・新畑八町六反余(諫早日記)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by