唐津往還(読み)からつおうかん(さがおうかん)

日本歴史地名大系 「唐津往還」の解説

唐津往還(佐賀往還)
からつおうかん(さがおうかん)

唐津城下と佐賀城下を結ぶ道で、唐津街道(佐賀街道)ともいう。また塚崎つかざき往還を唐津往還とよぶこともある。

養母田やぶた村または千々賀ちちか村を起点山本やまもと(以上現唐津市)相知おうち(現相知町)厳木きゆうらぎ(現厳木町)笹原ささばる(唐津・佐賀の藩境)別府べふ村―古賀こが村―納所のうそ村(以上現多久たく市)―右原みぎわら村―池上いけのうえ村―くす(久須)(以上現小城郡小城町)牛津うしづ(現小城郡牛津町)。これが文化九年(一八一二)伊能忠敬の測量日記に記された道筋である。養母田村と唐津城下とは和多田わただ道が結び、牛津村と佐賀城下は長崎街道となっている。

この道筋は古代から変遷している。奈良・平安期には肥前国府が置かれた佐賀郡より松浦郡衙の所在地への官道筋は明らかでないが、両地間にある駅名は「和名抄」によれば「佐嘉・高来・磐氷・大村・逢鹿・賀周・登望」であるが、これらの駅を結びつける道筋は明らかでない。

天正二年(一五七四)竜造寺隆信おにヶ城(現浜玉町)の草野氏を攻めた時、佐賀から小城岩蔵おぎいわくら石台越いしだいこし市川いちかわ(以上現小城郡)池原いけばる滝川たきがわ(以上現七山村)大村おおむら(現浜玉町)と軍を進めている。文禄二年(一五九三)豊臣秀吉は博多より陸路東肥前ひがしひぜん道を通り、春日かすが村―太閤たいこう橋(以上現佐賀郡大和やまと町)―小城村―晴気はるけ村―丹坂にさか(以上現小城郡小城町)―古賀村―お茶屋原ちややばる―別府村―腹巻坂はらまきざか峠―小侍こざむらい村(以上現多久たく市)―厳木村名護屋なごや城と通っている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android