日本歴史地名大系 「喜多家住宅」の解説 喜多家住宅きたけじゆうたく 石川県:羽咋郡押水町北川尻村喜多家住宅[現在地名]押水町北川尻北川尻(きたかわしり)の集落北側にある。喜多家の祖は新田義貞の子で伊予国に渡ったという新田義宗と伝え(口郡十村土筆)、後裔の新田義勝は七尾城主畠山満則に仕えたが、天正五年(一五七七)主家没落により奥(おく)郡山田(やまだ)村(現能都町)へ隠棲。子孫の一二郎が寛永年間(一六二四―四四)に河北(かほく)郡日角(ひすみ)村(現宇ノ気町・七塚町)へ移住、その後現在地へ移ったといい、一二郎を中興元祖としている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
デジタル大辞泉プラス 「喜多家住宅」の解説 喜多家住宅〔石川県宝達志水町〕 石川県羽咋郡宝達志水町にある住宅。喜多家は十村役を務めた豪農。江戸時代後期に建てられた主屋、表門、道具倉などは国の重要文化財に指定されている。 喜多家住宅〔石川県野々市市〕 石川県野々市市にある住宅。喜多家は灯油の製造販売や酒造業を営んでいた旧家。主屋や蔵などが国の重要文化財に指定されている。 出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報